© 士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会
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攻殻機動隊 草薙素子 カラー画像
2023.10.31Interview
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interview #01

原作者・士郎正宗が語る『攻殻機動隊』 #01

文・ヤングマガジン編集部

単行本や副読本などで作品について説明することはあったが、士郎正宗がインタビューという形で『攻殻機動隊』について語ったことは、皆無に等しい。’95年の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』公開時に「ヤングマガジン」誌面で押井守監督と対談をしているが、映画についての話がメインで、マンガのことは語られていない。ヤングマガジン増刊「赤BUTA」の記事も、大半がマンガ家の仕事についてのインタビューで最後にほんの少し作品に触れている程度だ。その後、フランスのGlénat社経由で依頼があったインタビューだが、表現と絵の描き方についての質疑応答なので、マンガの内容については触れられていない。
つまり士郎正宗がマンガ『攻殻機動隊』について、インタビューという形で詳しく語るのは、今回が初めてとなる。作品を描くことになったきっかけから、注目している最新技術まで、30年以上の時を経て原作者自らが『攻殻機動隊』を語った。

#01 『ライフゲイム』からの刺激

――士郎作品群の流れもあり、一部を切り出して語るのは難しいと思いますが、『攻殻機動隊』を描くことになったきっかけを教えてください。

 

士郎正宗(以下:士郎) 1970年冬、『ライフゲイム』という放置観察系コンピューターゲーム、あるいは自動描画アートの一種が世に紹介されました。のちにこれに刺激を受けて1980年代初期に物語世界観の骨格をつくったのです(「物語世界観」とは『BLACK MAGIC』『ORION』などから続く士郎正宗ワールドのことを指します。もちろんまだ世に出ていない作品も多々あります)。1985年には『アップルシード』というマンガを発表し、さまざまな縁に助けられて、主に英語圏で海外出版なども始めることができました。この作品で、すでに物語にはさまざまな全身装甲サイボーグや部分的に機械化した人、人工衛星や公安による広域の監視網、脳を機械的に強化した人たち、双方向同時通信やデジタル&アナログ手法のハッキングなどが登場しており、それらは『攻殻機動隊』から描き始めた要素ではありません。

攻殻機動隊 士郎正宗 インタビュー アップルシード 第2巻 漫画シーン

『アップルシード』第2巻より (著/士郎正宗、発行/青心社)

 

またデビュー後、初の雑誌掲載も『攻殻機動隊』ではありません。先に東京の白泉社さんからオファーがあり、『ドミニオン』を雑誌掲載しています。そのこともあってか、あるいはたまたま偶然同時期だったのか、講談社ヤングマガジン編集部の編集者Y氏からSF枠で雑誌掲載の打診がありました。

 

――Y氏のことは単行本カバーの袖にも記載がありますが(バーコード表記がある時代の単行本で、現在発売されているものは袖のデザインが変わっています)、大友克洋氏は北久保弘之氏から士郎さんのことを聞いて、その後Y氏と会った際に、士郎正宗というおもしろいマンガ家がいるということを話されたようです。

 

士郎 Y氏は「関西に変わったマンガ描きがいると大友克洋氏から聞いて会ってみようと思った」とはおっしゃっていました。Y氏から「東京が嫌ってわけじゃないんだ?」と聞かれて「え〜、そんなこと全然ないですよ〜、本業もあるし家庭の事情で神戸から離れなれないだけです」と答えたことや、「契約書をつくったりはしないんですか」と尋ねたところ、「そんなものをつくったら、締め切りを守れなかったときに困るのはマンガ家のほうだよ」と笑いながら答えてくれたのを覚えています。しかし、その後さまざまな契約書の作成に応じてくださったおかげで、のちの映像化、ゲーム化、各種商品化の流れが整っていくことに繋がったと思います。Y氏にはもちろんですが、ライツ管理部門のG氏にも感謝しております。

 

――Y氏から打診があった時点では『攻殻機動隊』の構想はあったのでしょうか。

 

士郎 『アップルシード』から時代を遡って100年前はどうなっているか、ということなのである程度イメージはありました。ただ僕は現在に至るまでマンガ家になるために雑誌に投稿したこともないし、マンガ家のアシスタントをしたこともないし、この分野の勲章も冠も持っていません。今では当たり前ですが、当時は出版界から見ると同人誌なんて存在していなかったでしょうから、同人誌から雑誌にという流れもありませんでした。そのような状況ですので、「いきなり雑誌に!」というわけにはいかなかったようで、依頼に応じて短編を2本作ってY氏に納品しました。『攻殻機動隊』よりも少しチャーム要素(女性主人公やメカなど)を削って抑え気味に作った軽めのものです。『攻殻機動隊』はその短編よりも前に設計が済んでおり、当時他の作品制作(『ORION』のこと)とも時期が重なっていたために「週刊雑誌での連載は難しいので」と厚かましくもお願いしました。すみません。それが『GUN DANCING』『PILE UP』で、増刊の「ヤングマガジン海賊版」に掲載されました。『攻殻機動隊』は同じ物語世界観を持つ企画をいくつか用意してあった中で、物語の舞台が日本で、時代が近いものを『The Ghost in the Shell』として提出させていただきました(『The Ghost in the Shell』は『攻殻機動隊』の元々のタイトル)。他の手持ちの企画に比べて汎用性が高めで、親和性があるだろうと判断したからです。

 

――『攻殻機動隊』で描きたかったテーマ、表現したかったことはなんでしょうか。

 

士郎 今はスマートフォンなどで類似した行為はできるのですが、頭の中に機械を入れて新しい機能を手に入れた人間、つまり「生物学的脊髄神経網とインプラント随伴しているマイクロマシンネットワーク上に、人工知能の一種が重なって機能する状態の最初の人物」が登場するまでの物語を描いています。『攻殻機動隊』(無印)では登場までで、登場したらどうなるかという話は『攻殻機動隊2』で描いています。そういう人物が登場すると増殖して、個人の問題ではなく全体の問題になり、みんなが主導権を握って一番いいポジションにつこうとする。だからさまざまな衝突が起きるよねというのが『攻殻機動隊2』の内容です。本当は違うテーマですので、違うキャラクター、違う場面、違うタイトルで描いたほうがよかったのですが、『2』の内容が『1(無印)』と混ざっていてややこしくなってしまったなと思っております。

攻殻機動隊 士郎正宗 インタビュー 漫画シーン

『攻殻機動隊』より (著/士郎正宗、発行/講談社)

 

――その文脈からすると『攻殻機動隊1.5』はもともと描く予定ではなかったわけですか。

 

士郎 はい。『1.5』は『1(無印)』から漏れた要素です。いずれの作品もそれぞれに説明不足な部分があって、申し訳ないと思っております。当時僕にはそこまでの技術もなかったからしょうがないのですが、脳神経とマイクロマシンがどう関係しているのかを絵でわかりやすく見せるということも、ちょっと失敗しています。

 

――失敗しているというがわかりませんね。そもそも’80年代初期に物語世界の骨格をつくられたわけですが、当時、私も含めて世間一般の人たちが理解できていない概念を表現する先見性があると思うのですが、知識や発想の源はどこにあるのでしょうか。

 

士郎 当時はさまざまなSFが世に溢れており、やや飽和気味の中、「その先はどうなる」というのをみんなが模索している時代ということもありました。何かがあって物語世界の骨格をつくったということはなく、全体的にSFを描く流れ、空気感というのはあったと思います。
また昔から書店に行くのが好きというのもあります。1974年以降は「日経サイエンス」を不定期購読していました(不定期なのは小遣い不足によるものです)。科学雑誌は娯楽のSF世界よりトピックがだいぶ早いんです(今は違いますが)。今、話題になっているようなことがSFの世界に反映されるのはもっと先の話なんです。科学技術を研究されている方が、「これからはこっちの方向だ」とか「この分野とこの分野がくっついたらおもしろい」という話をあちこちでされているので、そういった情報が頭に残っていたんだと思います。

 

#02 伝わらなかったから生まれた表現方法 につづく

 

 

士郎正宗 SHIROW MASAMUNE

漫画家・イラストレーター。1982年にマンガやイラストの分野で活動開始。以降主な作品として『アップルシード』『ドミニオン』(1984年〜青心社)『攻殻機動隊』(1989年〜講談社)『紅殻のパンドラ』(2012年〜KADOKAWA)の原作者。アニメ家としての主な作品は『ブラックマジックM66』。そのほか、ゲームや画集などさまざまな制作分野で活躍。