押井守が追求した「情報量」と「臨場感」 ―『攻殻機動隊』映像化の先駆者が目指したもの― #01
文・浅原聡 撮影・平野太呂1989年に漫画家・士郎正宗の連載が始まった『攻殻機動隊』。映像化の歴史は押井守が手がけた1995年公開の劇場アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』から始まった。同作は日本はもちろん海外での評価も高く、続編となる『イノセンス』も含めて今なお多くのクリエーターに影響を与えている。「映像化するなら自分が向いていると思っていた」と語る鬼才が、『攻殻機動隊』の世界観をアニメーションで表現する貫いたこだわりとは? 制作時の苦労話や名シーンを巡る赤裸々な裏事情を語ってもらった。
#01 最初に決めたことは「フチコマを出さない」
ーー押井さんが 最初に『攻殻機動隊』に触れたのは いつ頃だったんですか?
押井守(以下:押井) 「ヤングマガジン」で原作漫画の連載が始まってから、すぐにチェックしましたよ。士郎さんの作品は『アップルシード』や『ORION』も読んでいたから、『攻殻機動隊』も奇特な世界観だとは思わなかったな。その後、単行本が発売されて1年後ぐらいにアニメ化のオファーをもらいました。
ーー当時、押井さんは『機動警察パトレイバー 2 the Movie』の制作が終わり、次の仕事を探していたタイミングだったんですよね。
押井 そうですね。僕はバンダイビジュアルさんに別の企画を提案しようと思っていて、それは後に『人狼 JIN-ROH』として実現したんですけど、打ち合わせの場で先手を打たれちゃったの。僕が用意した企画書には目もくれず、机の上に『攻殻機動隊』の漫画をドーンと置かれて、「この作品の監督をやりませんか」と言われました。意表を突かれたわけですが、よくよく考えると『攻殻』のアニメ化はいずれ誰かがやるだろうと思っていたし、もっと言えば「いつか自分がやるかもしれないな」という予感も持っていたんだよね。
ーー今のようにネットが普及していない時代に原作漫画の世界観をアニメで表現することはハードルが高かったのではないでしょうか?
押井 SFが好きなアニメ業界の関係者にとって、『攻殻機動隊』は“基礎的教養”と言われていたんだよね。読んでいることが当たり前だったし、アニメーターの好奇心を刺激する作品であることはわかっていた。ただ、士郎さんの作品はSF 的な舞台の設定が秀逸であることはもちろん、膨大な注釈で情報を詰め込んでいるように、ディティールにこそ魅力があるわけだよね。それを1本の映画にまとめるのは難しいと思っていました。そしてフタを開けてみたら、僕が想像していたより時間も予算もなかったわけで(笑)。だから最初の時点でテーマをハッキリさせて、省略すべきことを考え抜いたんですよ。
ーー公安9課の相棒であるフチコマが登場しないことが『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の特徴ですよね。
押井 フチコマを出さないのは一番最初に決めたことです。サイボーグであり人間でもある草薙素子のアイデンティティを巡る物語にしたくて、そこにフチコマが入ってくるとAIの存在を整理しなければならず、テーマが分散しちゃうと思いました。2時間の映画を作れる予算ではなかったし、制作期間を考えてもフチコマを出す余裕がなかったんです。裏を返せば、予算と時間に余裕がなかったからこそ、いろんな要素を削ぎ落とすことができたんですよね。SF作品に欠かせないアクションシーンだって、そんなに多くないし。
ーー光学迷彩や銃器を使ったバトルは序盤に詰め込まれています。
押井 そうですね。最近のハリウッド映画は20分おきにドンパチやっているけど、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は中盤のアクションを省いている。起承転結の“承”に該当するような、物語を膨らませる部分がないんです。その代わり、私がよくやる手口ですけど、中盤に物語が停滞する“ダレ場”を作った。看板が並ぶ街を素子がぼんやりと歩くシーンだよね。あそこで僕は情報で溢れかえった近未来の世界であることを表現したかった。
ーー香港をモチーフにして劇中の街を作り上げた理由を教えてください。
押井 香港には実写映画の仕事で何度も行ったことがあって、雑多な感じが作品の世界観に合うと思っていたし、土地勘があったから取材しやすかったことが大きな理由ですね。よく僕は「映画は即物的な表現である」と言っているけど、要するに伝えたいことを視覚でわからせるしかないんです。膨大な看板やポスターがあって、人もたくさんいて、空には飛行機が飛んでいて、地上の水路には小舟が行き交っている。情報過多なカオスな世界を、街の景観を通して表現しているんですよね。キャラクターやセリフのことばかり考えている人もいるけど、映画において、僕は場所で語られる情報が一番大事だと思っている。だから『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』でも、1回見ただけでは受け止めきれないほどの情報量をワンカットの中に仕込みました。
ーー圧倒的な情報量を詰め込むことで画面に奥行きが生まれ、“近未来の世界”に説得力を感じることができるのでしょうか?
押井 当時流行っていたサイバーパンクはもともと小説から火がついた文化で、 新しい言葉を生み出すことで近未来の世界を成立させていたわけです。でも、たとえば「電脳で語り合う」ことも、小説ならば読者の想像力に委ねることができても、アニメは絵で説得するしかないわけだけど、無線のやり取りだとイマイチわかりにくい。だからケーブルをたくさん使って表現したわけですが、そんな感じで、すべてにおいてディティールを追求するのが僕らの仕事なんですよ。そこで妥協すると、未来を予感してもらえるような表現はできない。でも時間もお金も限られていた中で、普通はやりたくないよね。それでもやる気になった理由は、個人的にお金が必要な時期だったから(笑)
ーー当時は新たに建てた家に引っ越ししたばかりだったとか。
押井 そう。ローンを抱えていたから、仕事をしないといけない時期だったの。だから依頼されればなんでも受けようと思っていたんだけど、絶妙なタイミングで『攻殻機動隊』のオファーがきたんだよね。その前に『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を作って、レイアウト・システムを用いることで1作目と比べて倍の情報量を画面に詰め込むことができたんですよ。だから「次の作品はさらに倍にするぞ」と思っていたタイミングで、絶好の作品に出会えたわけです。それは絵だけじゃなくて、音の情報量を増やすことにもこだわりましたよ。
ーー音の情報量とは、具体的にどんな部分でしょうか?
押井 特にがんばったのは銃器の作動音だね。銃の種類によって作動音は違うし、撃った後に薬莢が転がる音や、音が鳴る方向や響き方にもこだわっていたから。市場のシーンでは音楽が流れているんだけど、あれは、あの世界の流行歌をイメージして作ってもらったの。香港から歌手を呼んで本格的にレコーディングしたら、現地のメディアがわざわざ取材にきたんだよ。それだけ当時は珍しい出来事だったんだけど、「バックグランドでわずかに聴こえるだけですよ」なんて言えないから、ちょっと気まずかったよね。
ーー真相を知って香港のスタッフさんも腰を抜かしたのではないかと思います……。押井さんがディティールを大切にしていたことがわかるエピソードですね。
押井 そういうことを積み重ねないと、その作品の固有の世界観は作れない。 機関銃もマシンガンも全部同じ銃声とか、ありえないでしょ。僕がマニア だから言っているわけじゃなくて、ディティールを積み上げていかないと架空の世界にリアリティが出てこないんだよ。だから『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は銃器の設定やデザインが完成するまでに4ヵ月くらいかかっていて、そりゃあ大変でしたよ。大変だけど、それを嫌がっていたら架空の世界を舞台にした仕事をすることはできないよね。
押井守 MAMORU OSHII
1951年8月8日生まれ。東京都出身。東京学芸大学教育学部卒。1977年、竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)に入社。スタジオぴえろ(現:ぴえろ)を経てフリーに。主な監督作品に『うる星やつら オンリー・ユー』、『天使のたまご』、『機動警察パトレイバー the Movie』など。『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』はアメリカ「ビルボード」誌セル・ビデオ部門で売り上げ1位を記録。『イノセンス』はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。