押井守が追求した「情報量」と「臨場感」 ―『攻殻機動隊』映像化の先駆者が目指したもの― #03
文・浅原聡 撮影・平野太呂1989年に漫画家・士郎正宗の連載が始まった『攻殻機動隊』。映像化の歴史は押井守が手がけた1995年公開の劇場アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』から始まった。同作は日本はもちろん海外での評価も高く、続編となる『イノセンス』も含めて今なお多くのクリエーターに影響を与えている。「映像化するなら自分が向いていると思っていた」と語る鬼才が、『攻殻機動隊』の世界観をアニメーションで表現する貫いたこだわりとは? 制作時の苦労話や名シーンを巡る赤裸々な裏事情を語ってもらった。
#03 サイボーグを通して人間を描きたい
ーー『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』や『イノセンス』を制作する過程で原作者の士郎正宗さんから意見をもらうことはありましたか?
押井守(以下:押井) 基本的には何もなかったです。映画を作る前に会いに行ったときも、「好きにやってください」と言ってもらったくらいで、内容に関する具体的な要求はなかったですね。士郎さんは表に出たがるタイプではないと思うし、これまで僕も本当に少ししか喋ったことがないんですよ。
ーーこのメディアで士郎さんにインタビューをした際に、数ある『攻殻機動隊』のアニメ作品のなかでいちばん見たのは『イノセンス』であると語っていました。これまでご本人から直接感想を聞く機会はありましたか?
押井 こちらから感想を聞いたこともないし、人づてに感想を聞いたこともないですね。僕もこれまで十数人の漫画家とつき合ってきて、文句を言われたこともあるし、喧嘩をしたこともあるけれど、士郎さんほど徹底して外部と距離を取っている人はいないですよ。ただ、もし『イノセンス』を気に入っているのだとしたら、理由はなんとなくわかる気がします。たぶん、一番原作の雰囲気や色合いが残っている作品だからなのではないかと。
ーー『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』と比べると、『イノセンス』はサイボーグを巡る哲学的なテーマが盛り込まれた作品だったと思います。
押井 昔から僕はサイボーグが好きだったし、人間を表現するうえで一番おもしろい素材だと思っていました。人間だけを扱っていてもなかなか人間の本質は出てこないし、ロボットを登場させると、また少し違う話になってしまう。そもそも世の中の多くのドラマは、どこかナナメな人間を登場させて感情の軋轢や心理的葛藤を描きますよね。僕としては、それって人間を描くこととは関係ないと思っている。映画もそういう表現に向かないと思っているから、文芸映画は1本もやったことがなくて、結局SFになってしまうんだよね。
ーー公安9課の中でも、『イノセンス』の主人公に据えたバトーは押井さんのお気に入りのキャラクターですか?
押井 やっぱりオヤジに惹かれるから、バトーが好きだね。でも最近は、アニメも実写も男にぜんぜん興味が持てなくて、女しか目に入らなくなってきた。我ながらジジイになったと思うよ(笑)
ーー「お金と時間がなかった」と繰り返し語られた『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』と比べて、『イノセンス』は条件が大きく変わりましたか?
押井 あの頃はバブルだったから、 予算も時間も充分に与えられたんだけど、それがかえって地獄だったという人もいるね。描けば描くほど上の表現が見えてくるし、やり直せる予算も時間もある。結局は時間の許す限り上を目指すことになったんだけど。振り返ると、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のときはお金も時間もなかったし、当時はCGが高かったから、背景に映った看板の文字やデザインもパソコンで作っておいて、それを刷り出して貼り付けただけなんだよ。あの作品はデジタルアニメーションの先駆けとか言われているけど、実は手作業の産物だから。CG や合成を使っているのは、たぶん60カットくらい。光学迷彩もCG を使ったのは2カットだけだし、雨だって全部セルキズとフィルターで作っているからね。究極のアナログアニメーションだよ(笑)
ーー制作現場ではどんなスタンスでスタッフを指揮していたんですか?
押井 『攻殻機動隊』は準備で疲れ果ててしまうんだけど、制作に入ってからはほとんどやることがなかったね。暇を持て余してスタッフの弁当を買いに行ったこともあったな。音響が始まってからはスタジオにこもって徹夜していたけど、それを知らないスタッフにはサボってると思われていて、用事があって現場に戻ったら僕の机が撤去されていたんだよ。ヒドい仕打ちだよね。とにかく、『攻殻機動隊』は95%のシーンで絵が入った状態で音響やセリフを入れることができた。それはちょっと自慢だね。
ーー今は正式な絵が入っていない状態で声優さんがスタジオ入りするのが当たり前ですよね。声優のキャスティングも押井さんが主導したのでしょうか?
押井 素子役の田中敦子に関しては、声優に詳しい関係者にオススメされて初めて知ったんですよ。まだキャリアが浅い時期で、実績が豊富だったわけじゃないから、僕の記憶では博打を打つような人選だったと思うな。素子って人間だけど人間じゃないし、難しい役柄。ほとんど表情がないし、基本的に強気なセリフばかりだから、命令することに慣れた人間じゃないと無理なんだよね。 でも田中敦子の声は割と硬質な感じがして、独特の妙な雰囲気があるから、うまく素子にハマった。彼女以外の素子の声は想像できなかったね。他のキャストはスムーズに決まった気がするな。当時から、バトーのようなオヤジ役が似合う声優って、大塚明夫以外の名前が浮かばないような状況だったし。
ーーバトー役をきっかけに大塚さんのファンになった人も多いと思いますよ。
押井 そうかな。大塚明夫の代表作は、世間的には『メタルギア』シリーズのスネーク役だと思うよ。対象人数が比べものにならないし、セリフの量もバトーの数百倍はあるからさ。トグサ役の山寺宏一はなんでもできる声優だったし、軽妙なキャラクターが合うだろうという確信があった。でも『イノセンス』を作る前にキャスティングを変えろと言い始めたヤツがいたんだよ。注目を集めるために知名度の高い人を使えという案だったんだけど、それは僕が断固として拒否した。単発で登場するキャラなら誰でもいいけど、メインは絶対に変えちゃいけない。アニメにおいて、キャラクターデザインって実はコロコロ変わるんだよ。 極端に言うと、カットが変わるたびに微妙な違いがある。
だからキャラクターとしてのペルソナを作っているのは 声優さんなのね。そう簡単に変えることはできないよね。
ーー最後に、これまで手掛けた『攻殻機動隊』の中で、特に思い入れの強いシーンを教えてください。
素子 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』で、戦車の上で素子の身体がバラバラになるシーンかな。あれ『攻殻機動隊』という作品のすべてを表していると思うし、一番気に入っているシーンだね。もうひとつ、『イノセンス』で人形になって床に落ちるシーンかな。あれは沖浦がすごいと思ったね。 あんなことを描けるのはあいつしかいないよ。アニメーターとしての沖浦は心から評価するけど、人としてはノーコメント。顔を見ると喧嘩しちゃうから、お互いに顔の記憶を抹消しているの(笑)。だから廊下で会っても気づかないと思う。
了
押井守 MAMORU OSHII
1951年8月8日生まれ。東京都出身。東京学芸大学教育学部卒。1977年、竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)に入社。スタジオぴえろ(現:ぴえろ)を経てフリーに。主な監督作品に『うる星やつら オンリー・ユー』、『天使のたまご』、『機動警察パトレイバー the Movie』など。『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』はアメリカ「ビルボード」誌セル・ビデオ部門で売り上げ1位を記録。『イノセンス』はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。