冲方丁が提示した『攻殻機動隊』の課題 ―『攻殻機動隊ARISE』の誕生の裏側と、シリーズが目指す未来― #02
文・音部美穂 撮影・彦坂栄治4人の監督による劇場版連作スタイルに挑戦した『攻殻機動隊ARISE』(2013年~2014年)。同作すべての脚本を手掛けたのが作家・脚本家の冲方丁だ。原作の発売時から『攻殻機動隊』ファンだったという冲方。執筆時、すでにインターネットが一般的なものとなっていた社会で、未来の社会を表現するためにどんな苦労があったのだろうか。また『攻殻機動隊』シリーズを長く世に残すために意識したことや、シリーズが目指すべき未来についても語ってもらった。
#02 素子の恋愛を描くことの意味
――冲方さんは、『攻殻機動隊』以外にもアニメ脚本を手掛けていますが、小説の執筆とアニメ脚本の執筆、のぞむうえでの違いはありますか?
冲方丁(以下:冲方) 小説の場合は、読者だけに向けて書くので、僕ならではの自由な表現を試せる。一方、アニメーションの現場は大勢の人が脚本を読むので、曖昧な表現をしてしまうと、人によって受け取り方が異なってくる。そのため、話の展開に関しては、誰が読んでも一つの意味しかなさないわかりやすい表現を心がけてますね。とはいえ、セリフはどうしても多義的になるので、そこは演出と音響監督に意図を伝えておくようにします。
――『攻殻機動隊ARISE』の脚本を執筆する上で、苦心したところはどこでしょうか?
冲方 一番大変だと感じたのが、『攻殻機動隊ARISE』の執筆時点で、現実社会がレトロフューチャーに近づいてしまっていたことです。たとえば、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が公開された1990年代は、ネット通信でデータにアクセスすること自体が目新しくワクワクすることだった。それから20年が経ち、あっという間にLANケーブルがなくても無線でアクセスできる時代が到来してしまったので、「首にジャックを接続しなくても、無線で済むじゃないか」という話になってしまったんですね。加えて、タッチパネルに触れるだけで機械が操作できるのも当たり前ですし、未知の技術だったARも現実のものとなった。結局、首のジャックについては、『攻殻機動隊』を象徴するスタイルとしてそのまま残すことになりましたが、未来の社会をどのように表現するべきなのかについては非常に悩みました。
――『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』で提示していた未来の社会に、現実の世界が追いついてしまったわけですね。都市構造において現代とは異なる雰囲気をどのように出そうと考えたのでしょうか。
冲方 たとえば「border:2」では高速道路で交通管制システムがエラーを起こし、いつもは起きないはずの渋滞が発生してしまった様子をさりげなく描いています。AIが高速道路の渋滞を管理したら、このようなことだって起こり得るだろうな、と。車の描き方についても、いろいろと考えました。車の設計に詳しい人に「未来の車」について聞いたら、自動運転が実現すれば、運転席にはモニターだけがあれば充分で、ハンドルすらいらないそうなんです。でも、それだとアニメーションにしたときに何に乗っているのかがとっさにわからなくなってしまうんですよ。また、SF映画などでフロントガラスに渋滞情報などのデータが一面に表示されるシーンがありますが、視界が遮られるので、現実世界でそんなことが起きたら事故が増えて大変なことになるそうです。昨今の社会常識と新しい演出のはざまで辻褄を合わせなければならないというのは、この作品ならではの難しさかもしれません。
街の描き方についても同じで、『攻殻機動隊』には光学迷彩も頻繁に登場しますが、それが本当に発明されたら、景観を守るために巨大ビルをすべて消すことも可能なわけです。でも、そうすると何もない街になってしまうので、それはやめよう、と(笑)。テクノロジーが発展すればするほど“透明な世界”になるので、それは未来社会を描く作品の課題ではないでしょうか。もちろん、今後、僕も取り組んでいかなければなりませんが、若い世代に対してこの課題を提示できたことは良かったと自負しています。
――『攻殻機動隊ARISE』では、素子をはじめサイボーグに対する描き方も印象的でした。
冲方 それまで『攻殻機動隊』以外の作品では、体が機械化されたことは悲劇であり、サイボーグは“哀しい存在”として描かれてきました。ですが、これから先、機械化された義手や義足が一般化していくことを考えると、「体の一部が機械化=不幸」とみなすことは、絶対にあってはならないんです。そのような描き方をしたら、将来、差別的な作品として公開禁止になってしまう可能性も否定できない。したがって、機械化された肉体を持つことを肯定的に描く必要がある。そのため「border:3」では、機械化された肉体でも妊娠ができるといった描写を入れるなど、サイボーグ技術を肯定するようにセリフを整え、演出面においてもそこについては注意をしてほしいとお願いしました。
――『攻殻機動隊』を後世に残すために必要なことであり、この作品の可能性を広げることに注力されたのたのですね。
冲方 そうですね。一方で『攻殻機動隊 新劇場版』では、機械化された体がバージョンアップできなくなるという課題も提示しています。さまざまな事情でバージョンアップができなくなると、“使い捨て”にされてしまうことが将来起こり得るかもしれない。それは体の一部を機械化することの大きな課題だと考えたんです。
――「border:3」では、素子と義体技師のホセ・アキラとの切ない恋も描かれました。これにはどのような狙いがあったのでしょうか。
冲方 恋愛は、自分よりも他者の思いを推し量るという点で、人格の成長を感じさせる要素になるので、ぜひ素子の恋愛を描きたいと考えていました。恋愛は、うまくいくよりも失敗したほうがストーリーとしておもしろい。それで「イイ男に騙される」という設定にしてしまおう、と。
――素子は愛の言葉を頻繁にささやくわけではないのに、しぐさや表情からアキラへの恋心が伝わってきました。
冲方 「好き」とか「愛している」といったようなセリフを連発してグイグイ迫る素子……という雰囲気だと、どうしてもコメディっぽくなってしまう。「border:3」の監督を担当した黄瀬さんは「デートムービーにしたい」と言っていたので、直接的なセリフはあえて増やさず、大人っぽい演出にしようということになった。そうなると、ちょっとした距離感や目線、相手に触れるときのしぐさなど、すべてはアニメーターの表現力にかかってくるわけです。「これは難題だな」と僕は感じていたんですが、黄瀬さんが「オレがやるから!」と宣言するのでお任せしたんですよ。完成した作品には、素子がアキラにかわいらしく頭突きをするなど、脚本には入れていなかったシーンが見事に表現されていて、唸りましたね。
――『攻殻機動隊ARISE』のなかでも、「border:3」は特に、素子の“人間らしさ”を強く感じさせる回でした。
冲方 「border:3」は、素子を血の通った存在として描くために、もっとも苦心した回でもあるんです。素子が殺風景な部屋にカーテンをつけ、ラグマットを敷き、家具を運び入れる様子を描いたのも、そのため。サイボーグが究極に進化すれば、棺桶のようなところに寝転がって充電すれば事足りるわけです。でも人間はそんな生活には耐えられない。心地よく生きていくために、生活空間を整える。それは、素子の人間らしさを証明することのように思えたんです。「border:3」では、素子が「なるべく美しい脚をつけたい」と願ったり、義足がフィットせずにイライラしたりするなど、感情を露わにする一方で、自分の存在について戸惑う様子も描きました。素子が「自分が何者かわからなくなって、誰かに自分はロボットではないと教えてほしくなる」とつぶやくシーンがあるのですが、あの場面は特に気に入っています。『攻殻機動隊』だけでなく、これまで自分が関わったすべてのアニメ作品を見返してみても、「border:3」は思い出深く、大好きな作品ですね。
#03 『攻殻機動隊』が挑戦すべきはAIとドローン につづく
冲方丁 TOW UBUKATA
1977年、岐阜県出身。1996年、早稲田大学在学中に作家デビュー。『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞などと受賞。同作および『十二人の死にたい子どもたち』『灰骨』で直木三十五賞候補。アニメのシリーズ構成や脚本執筆においても活躍し、『蒼穹のファフナー』シリーズ、『PSYCHO-PASSサイコパス』シリーズなども手掛けている。