冲方丁が提示した『攻殻機動隊』の課題 ―『攻殻機動隊ARISE』の誕生の裏側と、シリーズが目指す未来― #03
文・音部美穂 撮影・彦坂栄治4人の監督による劇場版連作スタイルに挑戦した『攻殻機動隊ARISE』(2013年~2014年)。同作すべての脚本を手掛けたのが作家・脚本家の冲方丁だ。原作の発売時から『攻殻機動隊』ファンだったという冲方。執筆時、すでにインターネットが一般的なものとなっていた社会で、未来の社会を表現するためにどんな苦労があったのだろうか。また『攻殻機動隊』シリーズを長く世に残すために意識したことや、シリーズが目指すべき未来についても語ってもらった。
#03 『攻殻機動隊』が挑戦すべきはAIとドローン
――『攻殻機動隊ARISE』の「border:1」の舞台は2027年。あと3年後に迫っています。今日の社会は、『攻殻機動隊ARISE』の執筆当時に冲方さんが思い描いていた未来とは異なっていますか?
冲方丁(以下:冲方) 新型コロナウイルスのパンデミックについては、僕だけでなく世界中の人にとって予想外だったことでしょう。そしてさらに予想外なことに、パンデミックの混乱の最中でも人間は戦争をするのだということもわかった。『攻殻機動隊』の背景として、「戦争がサイボーグ技術を発達させた」という設定がありますが、それが現実のものになりそうで恐ろしいというのが本音です。紛争で凄まじい数の負傷者が出ていますから、機械化された義手や義足をつけた兵士が近い将来現れるんじゃないかという気がしてしまう。また、ロボットでもサイボーグでもなく、ドローンがここまで進化するとは予想していなかったというのも正直なところですね。ドローンは単なるラジコンであったはずなのに、今は戦果を左右するほどの“武器”になっていますから。
――AIも私たちの生活に当たり前に存在するものとなりました。AIの描き方についてはどのように考えていますか?
冲方 今後のエンタメ作品におけるAIの描き方は、非常に難しいと思います。たとえばAIをプログラムしている人間の属性によって、事故や差別が生じることがある。アメリカでは、AIを用いた顔認証システムで黒人女性が正しく認識されず、警察に誤認逮捕されるという事件が起きました。その背景にはAIをプログラムしている人の多くが、白人男性であることが関係している。つまりAIが偏見を学び、差別を助長してしまったのです。こういった問題が解決しなければ、AIをエンタメで描くのは難しいですが、間違いなく将来のテーマになるでしょう。10年後の『攻殻機動隊』が挑戦しなければならないテーマは、AIとドローンだと僕は思っています。
――AIをめぐる課題について、どのように考えていますか? またそれは『攻殻機動隊』にどのように関わってくるのでしょうか?
冲方 AIはデュアルユースといって、民生と軍事の両方に用いることができるので、人間にメリットをもたらす一方で大きな脅威にもなりえる。ある海外の研究者が、AIを悪用した場合どんな有害な物質が作られるかという研究をしたことがありました。すると、たった一晩で猛毒の化学記号を5万種類以上弾き出し、あわてて実験をやめたというのです。AI任せにすると何でも作り出してしまう、ということですね。戦争や武器についても同様で、「味方の損害を限りなく減らす」という大義名分のもとで、AIに無人兵器の開発をさせるということだって可能であるわけです。またAIはまだ規制の枠組みが定められていないため、大企業や巨大な権力を持つ団体が自らの利益のために誤った使い方を押し通すこともできてしまう。大企業が発達して、国家の枠組みが解体される寸前の世界が実現したら、人間に害を及ぼすとわかっていてもデュアルユースのテクノロジーは禁じられない。そんな世界になる可能性だってあるのです。
そこで立ち返りたいのが、『攻殻機動隊』の原作の単行本第1巻の最初のページにある《企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても 国家や民族が消えていなくなる程 情報化されていない近未来》という文言です。世界と企業のあり方が次の『攻殻機動隊』のテーマになり、そこにAIは深く関わってくるのではないかと思うんですよ。
――今後、『攻殻機動隊』シリーズがどのように育っていってほしいと思っていますか?
冲方 ぜひ“次のチーム”を作ってほしいですね。たとえばアメリカのテレビドラマ『CSI:科学捜査班』は、スピンオフとして『CSI:ラスベガス編』『CSI:ニューヨーク編』が放送され、その後『CSI:ベガス』となって、登場人物はガラリと入れ替えながらも、大きなテーマは変えないまま存続しています。『攻殻機動隊』も、このような作り方ができたら、シリーズとしての広がりが出るだろうなと思います。新たなチームを描きつつ、懐かしいキャラクターをちらっと登場させたり、現代のテクノロジーの発達をふまえたうえで、新しいギミックを入れ込んでいくのもおもしろいのではないでしょうか。
――冲方さんにとって、素子はどのような存在ですか?
冲方 大げさかもしれませんが、僕にとって素子は「キリスト」です。裁かれて死してもなお復活し、世に広まる――という点で、まさにキリストと同じ。今振り返れば、僕自身、キリストの復活から着想を得て、素子というキャラクターを描いていたように思うんですよ。今後の『攻殻機動隊』に、素子に代わってサイバー世界での人間の尊厳や自由、サイバーパンクならではの価値観を受け継いでいくキャラクターが今後生まれるかどうかが楽しみですね。
――頭の中にさまざまなアイディアがあるのですね。ぜひ、もう一度冲方さんの『攻殻機動隊』を見てみたいですが、オファーがあったらまた引き受けますか?
冲方 無理ですね(笑)! だって本当に大変なんですよ。『攻殻機動隊ARISE』では、企画のお話をいただいてから書き上げるまで、計3年くらいかかったんです。非常に集中力を必要とする仕事ですし、その間、他の小説を書くのが難しくなってしまう。しかもアニメの脚本は決定稿になるまで請求できないことが多くて。時間がかかってしまうとその期間は無収入になってしまうこともあるので、死活問題なんですよ。当面は子どもたちの教育費もあるので、子どもが成人した後の「老後の楽しみ」としてとっておきたいと思います(笑)。
了
冲方丁 TOW UBUKATA
1977年、岐阜県出身。1996年、早稲田大学在学中に作家デビュー。『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞などと受賞。同作および『十二人の死にたい子どもたち』『灰骨』で直木三十五賞候補。アニメのシリーズ構成や脚本執筆においても活躍し、『蒼穹のファフナー』シリーズ、『PSYCHO-PASSサイコパス』シリーズなども手掛けている。