神山健治が語る『攻殻機動隊”SAC”』 ーシリーズ誕生秘話から”2045″までー #02
文・浅原聡 撮影・山谷祐介’02年に放送されたTVシリーズ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の監督を務め、当時すでにコアなSFマニアを虜にしていた作品の魅力をお茶の間レベルに広めたのが神山健治だ。荒牧伸志とのダブル監督体制で手掛けた最新作『攻殻機動隊 SAC_2045』では、シリーズ史上初のフル3DCGに挑戦。物語の設定や公安9課が追う事件も現代の視聴者が咀嚼しやすい”未来”にブラッシュアップされており、さらにファンの間口を広げている。挑戦的な作品を成功に導けるのは、多少設定を変えても揺るがない『攻殻機動隊』の根幹にある魅力を熟知しているからだ。今回は原作漫画との出会いから初監督作品で心がけたこと、新作に込めた願いまで、『攻殻機動隊』との歩みを振り返ってもらった。
#02 『S.A.C.』シリーズを機に人生が激変
――神山さんが『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の監督を務めることになったきっかけを教えてください。
神山健治(以下:神山) その頃の僕はプロダクションI.Gで劇場作品『人狼 JIN-ROH』の作業を終え、小さな仕事をこなしていました。社内では押井監督の映画『イノセンス』のプロジェクトが動き出したタイミングでした。でも映画は企画の立ち上げから公開まで4年はかかるので、その間にTVシリーズを作って『攻殻機動隊』という作品を盛り上げていこう……という背景があったのかな。でも、僕に声がかかるまでに名立たる監督候補の人に断られたのではないかと推測しています。理由は2つあって、まず押井さんがI.Gのすべてのリソースを注いで映画を作っている隣でTVシリーズを作るのは、大変厳しいものになるだろうということ。もうひとつは、そもそも『攻殻機動隊』をTVシリーズで作るのは無理だと思う人が大多数だった。
――予算やスケジュールが非現実的だったのでしょうか?
神山 そうですね。予算よりもスケジュールが無謀だった気がします。『イノセンス』が4年後に公開されるということは、遅くとも3年後にはTVシリーズの放送が始まっているべきですから、作品の内容を考えるとスケジュール的に負担が大き過ぎる。だいたい原作漫画が1巻しかなくて、それをベースに押井監督が映画(1995年の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』)を1本作った後だし、新たなエピソードを大量に作れる保証もないわけで。当時のアニメは2クール全26話がスタンダードでしたから、なおさらハードルが高い。そんなわけで、誰も「監督をやりたい!」と名乗り出なかったんじゃないかと思うんですよ。
――でも神山さんにとっては待ち望んでいた機会だったわけですね。
神山 もともと僕は『攻殻機動隊』に影響を受けたオリジナルアニメの企画書を出していたくらいだし、そこから4〜5年は経っていたはずですが、そのときに声をかけられた監督候補の中では一番原作を読み込んでいた可能性はあります。だから石川光久さん(プロダクションI.G代表) に声をかけてもらった時には、大まかなアイデアが閃いていた。「やるに決まってますよ! 『攻殻』だったら何話でも作れるじゃないですか!」という感じでしたね。『スター・ウォーズ』も最初は続編なんて無理だと思われていたはずですが、今に至るまで新作が作られ続けてますよね。あの銀河を使えばなんでもアリなわけで、それは『攻殻』も同じで。『アップルシード』に関しては原作で描かれたストーリーで完結している印象があったので、TVシリーズの依頼を受けたら僕も頭を抱えたかもしれません。でも『攻殻機動隊』はクリエイターが何かをやれるベースとなる設定が提示されていたので、僕の中で勝算はあった。
――それでも映画版で実績を残している押井さんの隣でTVシリーズを作るのはプレッシャーが大きかったのでは?
神山 これまで何度も聞かれた質問ですが、プレッシャーは1ミリもなかったです。僕にとっては楽しい環境で、『攻殻機動隊』のアニメシリーズを作ることができる喜びでいっぱいで、ただただワクワクしていましたね。
――シリーズのコンセプトや各話のプロットはすぐに固まりましたか?
神山 僕がやることが決まって1〜2週間後ぐらいには、「お茶の間に向けた『攻殻機動隊』である」というコンセプトを元に大まかな方向性を各方面に伝えていました。原作漫画の情報量に圧倒されて挫折した人たちも楽しめる作品にしますよ、と。そこからまた2週間後ぐらいには全話分のプロットを出しました。もちろん関係者の中には、キャラクターの言動がシリーズのコンセプトに合わせて変わっていることについて、「こんなの『攻殻』じゃない」と厳しく批判する方もいらっしゃいましたが。
――神山さんの中で、いちばん思い切って変更を加えた部分とは?
神山 登場人物の行動原理、公安という仕事に対する動機の部分だと思います。士郎先生が描く素子たちは、シニカルで、警察官として人助けをするけれど、助けた相手に苦言を呈すこともあったり、決して社会正義や教訓を残すようなタイプの人間には描かれていない。でも『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』では、原作よりも人間味というか、正義感がわかりやすく表に出るキャラクターとして描こうと思っていました。当時の僕の考えは、社会における大きな問題や体制に向かって声を上げられる立場にある人間が、それに対峙することがある種の正義だと考えていた。だから原作における正義(公平、公正)の捉え方とはギャップがあったかもしれません。当然、士郎先生の真似をしようにも、真似にもなりませんし、押井監督と同じこともできない。なので腹をくくって自分がやりたいようにやるしかないと思っていました。
――実際に放送が始まってから、すぐに好評は得られましたか?
神山 第2話の「暴走の証明 TESTATION」が放送された時点でそこそこの評判が届いていたのですが、それが第4話の「視覚素子は笑う INTERCEPTER」が終わってからネットの書き込みがガラリと変わった。このシリーズは一話完結の話を『a stand alone episode』、「笑い男事件」に関連のする話を『complex episodes』と分けていて、4話が後者に属する初めてのエピソードでした。だからタイトルバックの色を変えているのですが(a stand alone episodeが緑でcomplex episodesが青)、その細かな仕掛けについて「気づいたか?」「新章が始まったぞ!」と、ネットがざわつき始めたことを覚えています。
――アメリカでは幅広い世代の個人視聴率でトップを記録したそうですね。大ヒットを経て、ご自身を取り巻く環境はどのように変わりましたか?
神山 放送後に仕事でニューヨークに行ったときに空港のスタッフに声をかけられたり、現地のストリートで自分で作った笑い男のステッカーをバッグに貼っている人に会ったり、なかなかの影響力を感じましたね。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』を経て自分を取り巻く環境が劇的に変わったし、キャリアのターニングポイントになった作品であることは間違いありません。僕にとって、あそまで作品に入り込んだのも初めての経験でした。脚本も絵コンテも最終的にはほとんど自分で書き直していた。1日のうちほとんどの時間を『S.A.C.』のアイディアを考えることに費やしていましたから。それぐらい入り込むと、各キャラクターがそこにいるかのように喋ったり動いたりし始めて、気がつくと自分の中に答えが見えてきた。
――「見えてきた」とはどういうニュアンスですか?
神山 頭の中で映像が放映されている感覚です。理想が具現化された最適解の映像が。それを自分が閃いたという感覚はなくて、降りてくるような感覚。それを制作スタッフに対して「最終回の映像を見てきて、お客さんが泣いていたから、今から俺が言う通りに作ってくれ」という感じで伝えていました。客観的に見たらヤバい人ですけど、そこまで没頭するくらい命がけで作っていました。
#03 原作漫画が提示した「2つの発明」 につづく
神山健治 KENJI KAMIYAMA
1966年3月20日生まれ。埼玉県出身。高校在学中から自主アニメーションの制作を始める。1985年スタジオ風雅に入社。劇場作品『AKIRA』、『魔女の宅急便』などに背景として参加。2002年『ミニパト』で初監督を務める。代表作は『攻殻機動隊 S.A.C.』シリーズ、『ULTRAMAN』シリーズ、『東のエデン』など。