© 士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会
© Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045

KODANSHA
FEATURE_
2025.05.03report
SHARE
report #02

「士郎正宗」とは何者なのか…「ポケベル主流の時代」から「あまりにも解像度の高い未来予想図」を描き続けてきた「謎めいた漫画家」

文・浅原聡 撮影・山谷祐介

開幕2日目の4月14日に「空飛ぶ車」がお披露目されるなど、世界各国のパビリオンが先進的な技術を発信している大阪・関西万博。9月下旬には、大阪の化粧品メーカーと繊維関連企業がタッグを組み、光学迷彩の技術を応用して開発した「透明に見える服」を公開するという。ひと昔前にSF漫画やアニメで描かれてきたような“未来”が、どんどん絵空事ではなくなってきている。

そこで注目したいのが、熱狂的な人気を誇る士郎正宗の漫画『攻殻機動隊』だ。1989年に連載スタート。全身を「義体化(サイボーグ化)」した主人公の草薙素子が、熱光学迷彩などの装備を使いながら犯罪者を懲らしめる物語。特筆すべきは、脳とコンピューターネットワークを接続する「電脳化」という技術が浸透した高度な情報化社会を描いていることだ。ポケベルが主流だった時代だと考えると、先見の明に驚かされる。

各界のクリエイターも舌を巻くほど解像度が高い“未来予想図”を、コアなファンだけに堪能させておくのはもったいない。そこで今回は、4月12日より世田谷文学館で開催中の【士郎正宗の世界展~『攻殻機動隊』と創造の軌跡~】の会場に潜入した。

 

今や情報処理能力に長けたAIが生活に欠かせない存在になっており、スポーツの世界では義足のランナーが人類最速を狙える時代が訪れつつある。人類は士郎正宗が描いてきた世界に片足を踏み入れているのかもしれない。近い将来、知能と身体能力を跳ね上げるために「機械との融合」を選ぶ人間も現れそうだ。
そんな妄想をしながら【士郎正宗の世界展~『攻殻機動隊』と創造の軌跡~】の会場である世田谷文学館に入ると、目の前のボードに士郎正宗からの挨拶が綴られていた。

 

「ヘンな名前のマンガ絵描きがいる? どんな仕事か見てやろう! と思って、或いは単に涼もうと思っただけなのに何かを間違ってこの場に足を踏み入れてしまった方々、はじめまして。なんらかの形でしばしの間、お楽しみいただければ幸いです」

 

“ヘン”なのは名前だけじゃない。『攻殻機動隊』シリーズをはじめ数々の作品がアニメ化されている人気漫画家だが、めったに公の場に姿を現さないことで知られる。今でもスマホを所有しておらず、講談社の担当編集者・桂田剛司氏によるとメッセージのやりとりはメールではなく手紙で行われるらしい。ものすごく謎めいた存在だからこそ、キャリア初の大規模展覧会となる本展は巨匠が築き上げたレガシーを本人のコメント付きで堪能できる貴重な機会となっている。
本展はマンガのアナログ原稿やデジタル出力原稿に加え、作業道具や蔵書などもあわせ約440点が展示されており、士郎正宗の多様な作品群と現在の活動までを全11チャプターにわたってたどる構成になっている。

 

まずチャプター1「士郎正宗の創造の軌跡」では、これまでの活動が年表形式で一覧にされていた。1961年生まれの士郎正宗は物心つく頃から絵を描いて生活する人間になることを意識していたそうだが、作家としての方向性を決定づける出会いが訪れたのは1970年の冬。イギリスの数学者が考案した『ライフゲイム』(生命の誕生や死を計算機上でシミュレーションするコンピューターゲーム)に刺激を受けたことが、後々の代表作となる『アップルシード』や『攻殻機動隊』に共通する世界観の骨格をつくることにつながったという。

 

チャプター2「士郎正宗の描き方」では、原稿作業の際に使用している手製の道具や、それらを使った作画の方法を紹介している。また、これまで影響を受けた書籍を紹介するコーナーもあり、科学雑誌「サイエンス」をはじめ、生物誌「むし」、ハードロック誌「HEAVY METAL」など、幅広いジャンルの専門誌が展示されていた。言わずもがな、銃器の専門書も多数所有しているらしい。ヘンな人の脳内をさらに深く覗きたい場合は、下記のコメントと共にお勧めの1冊として挙げられた別冊日経サイエンスの『アントロポセン』を入手してほしい。

 

「環境マズいよ、格差マズいよ、から遺伝子改変、延命技術、AIから宇宙進出、果ては遠未来(1兆年後)の話まで、僕の漫画の面倒臭い部分が好きな方には楽しんで頂けることと思う(記事が少々古いことをお忘れなく)」

 

ちなみに『攻殻機動隊』の名物キャラクターであるAI搭載思考戦車・フチコマはTHE・サイバーパンクな風貌だが、長い年月が過ぎても風化しない妙な説得力があるのは、士郎正宗の圧倒的な知識量に裏打ちされたデザインに仕上がっているからだろう。また、同作では光学迷彩を廃れる技術と位置づけているが、その理由を描いた作品が士郎正宗自身のコメントで明かされている。“妄想”と呼ぶにはリアルすぎる未来予測を楽しめることも本展のポイントだ。

 

その後のチャプターで展示される代表作の原稿を見ると、少し遠くからキャリターを捉えた“引き画”が多く、背景のビルや乗り物が緻密に書き込まれておることに驚かされる。1コマの情報量が多いだけでなく、前述の桂田氏は「士郎先生の作品は設定の密度も段違い。病的なレベルで細かな概念が作り込まれています」と舌を巻く。実際に『攻殻機動隊』では電脳化など独自の技術についても、補足情報がコマの欄外にびっしりと書き込まれているシーンが多い。その情報量の多さと唯一無二の創造性が世界中の漫画ファンに評価されているだけでなく、これまで各界のクリエイターが敬愛を表明してきた。

 

本展もグラフィックデザインを坂脇慶や飛鷹宏明が務め、空間構成をトラフ建築設計事務所が担当しており、最終チャプターではイリヤ・クブシノブ(ロシア出身イラストレーター)、中澤一登(アニメーション監督)、北久保弘之(アニメーション監督)、寺田克也(マンガ家)、弐瓶勉(マンガ家)などのアニメや漫画軸の一線で活躍する人物ほか、河村康輔(コラージュアーティスト)、長場雄(イラストレーター)、小浪次郎(写真家)など多様なクリエイターとのコラボレーション作品も展示されていた。それこそ外部の才能を受け入れる懐の深さも士郎正宗の特徴で、これまで『攻殻機動隊』は押井守、神山健治、黄瀬和哉などアニメ界の重鎮によって映像化されてきた歴史がある。

 

さらに2026年には新作アニメ『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』が放送予定となっており、本展にもプロモーションムービーが登場。制作はアニメ『映像研には手を出すな!』や『ダンダダン』でお馴染みのサイエンスSARUが務める。各チャプターの様子を詳しく伝えようとしたら文字数が3万字を超えてしまいそうだが、総じて情報密度の高い空間だった。

 

結局のところ、士郎正宗とは何者なのか!? 返答に困る人物であることは、展示内のコメントを読むと、本人も自覚しているらしい。もしかしたら未来が見える予言者なのかもしれない。「中断状態・漂流放流状態になっている企画や作品も複数抱えており、あと100年の時間があっても全然物足りない気もする」と嘆いているが、実際は100年後も現役でいるため、すでに全身を擬態化している可能性もある。しかし、その秘密を知ったら公安警察に消されてしまうかも……と、ついつい妄想を掻き立てられてしまう。

 

「SFがいつまでも世紀末的な倦怠世界ばかり描いてもいられないだろう。未来は明るいほうがいい」

 

数少ない過去のインタビューでこんな言葉を残しているように、士郎正宗は人類と科学・機械の共存を前向きなスタンスで描いてきた作家だ。キャリアスタート40周年を記念したこの大規模個展。巨匠が世に与えてきたインスピレーションを再確認するとともに、現在の技術と照らし合わせながら類の行く末に思いを馳せる時間となるだろう。

(了)