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KODANSHA

2024.05.10INTERVIEW
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ISSUE #03小泉悠 + 廣瀬陽子 + 大屋雄裕

踏み越えられた一線:崩壊する秩序と戦争

構成_瀬下翔太
図版_studio TRUE

《攻殻機動隊》シリーズは、本格的なSF作品であるとともに、骨太なポリティカル・フィクションでもある。法哲学者で本特集を監修する大屋雄裕は、とりわけ『攻殻機動隊 SAC_2045』を念頭に、これまで戦争のなかに閉じ込められてきた暴力が日常化した世界を描いていると語る。

──主権国家体制の鬼子のように登場した未承認国家や、⺠間軍事会社の活躍ないし暗躍。戦争とは呼ばれない「特別軍事作戦」、暗殺やサイバーアタックを通じて平時に浸透する攻撃。本記事では、そんな作品世界と地続きの現実を理解するべく、ロシアの軍事・安全保障政策を研究する小泉悠と、国際政治・旧ソ連地域研究を専門とする廣瀬陽子を招いた。

眼前の暴力と、それによって崩壊する秩序のゆくえを論じる鼎談。

目次

未承認国家とはなにか

大屋 近代的な国際法モデルにおいて、国家間の境界線である国境を維持管理することは、主権国家の行使できる重要な権利です。ですから国境線が揺らぐとき、そこにはいつも戦争という異常事態がありました。戦争が起こると戦時国際法が適用され、平時には許されない暴力が存在することになるわけです。

しかし、現代ではそのモデルが機能しなくなっています。国家については、その地位の曖昧な未承認国家が次々に登場しています。紛争については、テロリズムとの戦いが常態化したり、民間軍事会社が現れたり。国境線の揺らぎとともに、これまで戦争のなかに閉じ込められていたはずの暴力が、低強度紛争のようなかたちで日常のものとなりました。《攻殻機動隊》シリーズで描かれている世界へと我々は近づきつつあるのかもしれません。このような状況認識を踏まえたうえで、まずは廣瀬さんから、未承認国家とはどのようなものかをお話いただこうと思います。

廣瀬 未承認国家というのは、いわゆる国際法で定められた国境線とは異なるところを、国境線だと主張し、その範囲内で国家の体裁を整えている行政地域のことを指します。未承認とは言っても「国家」と言われるためには、選挙や徴税などを行う政府が機能していなければなりません。もちろん、その選挙が本当に信頼できるものかは、ケースバイケースですが。「入出国」のしやすさもそうです。国際空港があって海外から直接飛ぶことのできる台湾のようなケースもあれば、極めて入りにくいケースもあります。

実態が異なる以上、どれだけの国々から承認を受けているかもケースごとに違います。たとえば、多くの国々から承認を受けている未承認国家は、台湾やパレスチナ、コソボなどです。他方で、ほとんどどの国からも承認されていないケースもあります。黒海とカスピ海の間にあるジョージアという国から独立を宣言したアブハジアと沿ドニエストルや、ウクライナ戦争の発端となった、ドネツクとルハンシク。これらは、その後ろ盾となっているロシアとロシアの影響下の強い国以外の国々からは、ほとんど承認されていません。

この承認という概念も少しわかりづらいですよね。台湾の場合、台湾を独立国家であると捉えるか、中国の一部である捉えるかによって、承認するかしないかは二者択一になります。しかし、コソボの場合は、コソボを独立国家として認めつつ、敵対するセルビアも同様に認めることができるのです。実際、日本は両者をともに国家として承認しているので、国内にはコソボ大使館(オーストリア大使館が兼轄)とセルビア大使館が両方あります。一口に未承認国家とは言っても、いろいろグラデーションがあるのです。

大屋 ロシアの場合、未承認国家をつくったうえで、その国が自分たちに助けを求めているという建前を用いて紛争を起こすという方法をとりますよね。どういうことかと言えば、未承認国家は国家ですから、自らの正当性を主張するために国際法を利用し、民族自決を訴えます。そうすると、仮にロシアの傀儡的な国家であっても、領土保全原則の観点からなかなか反論が難しくなってしまう。国家としての内実ではなく、そのフレームだけを戦略的に利用しているわけですよね。

廣瀬 そのとおりです。具体的に言えば、ロシアはアブハジアでは港を自由に使ったり、海軍基地を設置しようとしたりしていますし、沿ドニエストルではモルドバから弾圧されているから助けてほしいと言わせたりしています。言ってみれば、国際法のシステムエラーのようなものが起こっているんですよね。

このような戦略を達成するうえで、民間軍事会社の存在感が増してきているわけです。2014年にドネツクとルハンスクでウクライナからの分離独立の動きが生まれた際には、ロシアは民間軍事会社を利用してこれらの分離派を支援しました。直接介入すると戦争になるので、このような手段を用いたのです。ワグネルのような民間軍事会社がいなければ、両地域の分離主義者たちはウクライナに対抗することはできなかったでしょう。

大屋 西アフリカの国々では、ロシアの影響で非民主化が起こっていますよね。正規の国軍がまだ十分に整備されていない地域で、ロシアの雇っている民間軍事会社がその代わりを務める。それによって影響力を強めているわけです。また、スーダンでは金などの資源を取得して、ロシアが利用できる状況を維持しています。民間軍事会社によって、影響力の強化と資源の獲得をおこなっているわけです。

リアルな戦争、フィクショナルな境界線

大屋 廣瀬さんの言う「国際法のシステムエラー」の現れとして、ウクライナ戦争で注目されるようになった「特別軍事作戦」という概念があると思っています。近代的な国際法の秩序によれば、戦争と平和のあいだには明確な境界線があり、宣戦布告や平和条約の締結といった手続きを踏むことで両者が切り替わります。そして戦争状態では平和のもとでは許されない敵の殺害が可能になるので、それをさせないようにしようというのが国連を中心とするシステムでした。ところがプーチン大統領は、誰の目にも戦争に映るものを、そうではないと主張し続けている。戦争だと言えば国際法の規範によって違法とされてしまうからです。

小泉 いま起こっている戦争のありかたを考えるうえで注意しなければならないのは、そこで比較対象になるのはいつも近代の理念型としての戦争であるということです。とりわけよく使われるのは、クラウゼヴィッツのモデルですね。そこで前提になっている考え方は、ヨーロッパの近代国民国家同士が正規戦をおこなうというものです。

しかし、これはあくまでもモデルです。当時もスペインにおいて非正規戦としてゲリラ戦がおこなわれており、その後には非ヨーロッパでの征服戦争も展開されますよね。近代戦争というのは様々な戦争のあり方の一つに過ぎないということです。

大屋 戦時国際法もまた、まさにモデルにすぎないものですね。現実にはゲリラ戦が存在しているにもかかわらず、戦時国際法はそれを非正規戦として排除してきました。ところが第二次世界大戦では、むしろパルチザンやレジスタンスを正当化してしまった。これによって戦争と平和、軍人と文民のあいだに明確な境界線を引く国際法の秩序が解体されたと指摘したのがカール・シュミットです。このように考えると、戦争に移行する手続きを禁止すれば平和が保たれるという前提でデザインされている日本国憲法は、生まれた瞬間から時代遅れだったのでしょう。

それでは視点を変えて、現実の戦争についてはどうでしょうか。今回のウクライナ戦争では、かなり大規模にドローン兵器が使われていますよね。こうした最新兵器の活用は、戦争を変えたのでしょうか。

小泉 ウクライナ戦争について言えば、ドローン兵器がここまで大規模に使われたのは、たしかに初めてです。2020年にナゴルノ・カラバフをめぐって起きたアゼルバジャンとアルメニアの戦争では、アゼルバイジャン軍がトルコ・イスラエル製ドローンを駆使して大きな戦果を上げました。しかし、今回の戦争におけるドローン活用の幅や規模は桁違いに大きい。

ただ、興味深いのは、最新のドローンを敵味方が集中使用した結果、戦場の様相はむしろ先祖返りしたことでしょう。空中の目であるドローンがどこにでもいるので敵味方は常に自分たちの位置を掴まれたまま行動せざるを得なくなり、奇襲的に戦線を突破するのが難しくなった。その結果が第一次世界大戦みたいな塹壕戦です。あるいは、そのような状況下でも戦線突破を図ろうとするなら、兵力と火力が問題になるという、これまたやはり「古い戦争」の顔が出てきます。ただ、これも1990年代の米国防総省のネット・アセスメント局によって予測されていたことです。軍事革命はいずれコモディティ化して双方のハイテク戦力を相殺し合い、どちらも決定的な優位を達成できないエリアが生まれるというものです。

大屋 近代の理念型としての戦争や、その主体となる国民国家、規範としての戦時国際法、こうした枠組み全体が機能不全に陥っているということなのでしょう。それに対して、旧西側諸国のように近代的なものをアップデートして残していこうという勢力もあれば、ロシアやその後ろ盾のもとにある未承認国家のように国民国家の形式だけを取り出して利用しようという勢力もある。または2014年にISISがやろうとしたように、根底からそれを否定しようという動きもある。20世紀末に言われた「新しい中世」のような言葉は、21世紀になって現実になりつつあるのかもしれません。

小泉 私もそう思います。1991年に軍事史家のマーティン・ファン・クレフェルトが出した『戦争の変遷』 (石津朋之訳、原書房、2011年)という本があります。そのなかで、私たちが教科書において考える戦争というのは、ヨーロッパという限られた地域のなかで、きわめて短い期間に存在していたものにすぎないと指摘しています。そのうえで、近代の終わりとともに近代戦争もまた衰退していき、それ以前の前近代的な戦争が復活してくるというのです。これは戦争に限ったことではなくて、国家や秩序のあり方についても言えることではないでしょうか。

そこで最初に廣瀬さんがおっしゃっていた国境線の話に戻ってしまうのですが、私はロシアで陸上国境を何度か見たことがあるんですよ。厳重な警備がいてポールが立っているのですが、それを取り払ってしまえば、森と川があるだけです。その姿はあたかもフィクションの舞台装置のようなものにみえて、近代国民国家も国境も人工的なものなのだと改めて感じました。

廣瀬 そうした国境線はよくみられますよね。少し前に私はウズベキスタンからトルクメニスタンの間を陸路で越境しましたが、厳格な国境管理がなされていました。しかし、それもあくまで一部の地点であって、国境に壁があるわけでもないので、越境も容易に見えてしまいます。不思議な感覚を得るとともに、これが現実なのだとも思わされました。ジョージアと南オセチアの間にも鉄条網が設置されていますが、それが少しずつ動いてジョージアサイドを侵害しているそうです。なお、鉄条網や壁が未承認国家と通常国家の間に設定されているケースが多いように思います。キプロス・北キプロスはもとより、イスラエル・パレスチナの壁の厳格さは特筆に値します。他方、通常国家同士の国境管理はゆるい傾向がありますね。

それから国境線をめぐっては、ひとつ興味深い話がありました。タジキスタンとキルギスの間では、国境線の半分が未確定で、2021年頃から紛争が頻発していました。これではロシアによる介入のリスクがあるということで、2022年の2度目の衝突を機に、両国が国境画定を急ぐことになったんですね。

ちなみに、なぜ紛争が起き始めたかというと、以前は、水資源をもつタジキスタン、キルギスと天然ガスをもっているウズベキスタンとの間で資源配分を巡るトラブルが生じていたところ、ウズベキスタンの大統領がミルジョエフに代わり、彼は近隣外交を重視し始めたので、タジキスタン、キルギスとの関係が安定したんです。それで、それまでは隠されていたタジキスタン、キルギス両国間の対立が表面したということでした。

しかし、実際に現地で話を聞いたら、もう少し違ったリアリティもありました。どういうことかというと、このあたりの地域で暮らしている民族は、ソ連の時代には国境線を意識せず入り混じって生活していたんだそうです。しかし、キルギス側が、国境付近に住民を移住させる政策をとったそうです。すると、タジキスタン側の住民が、この地に縁のない人間が水資源を使うのは許せない、という意識が芽生えて対立になったとのことです。結局のところ、国境線というもの自体が規範的なものであって、その枠組に人々を無理矢理押し込めてもうまくいかないというわけです。

ハイブリッド戦争とその物理的制約

小泉 現代の戦争において新しい現象があるとすれば、情報伝達技術の進化がそれにあたると思います。歴史を振り返れば、最初にラジオが登場したとき、いち早くプロパガンダ放送をおこなったのはソ連ですね。それにイギリスやアメリカが追随していきました。冷戦中には、ソ連がこれに対抗するために、国境線上に電波妨害機を設置しました。次に衛星放送が登場し、それからインターネットの時代になっていきます。では、インターネットがこれまでの技術とどこが違っているかというと、情報伝達の速度です。圧倒的にスピードが上がったことで、戦争の姿にも影響があります。

大屋 イスラエルがイランの核施設にサイバー攻撃をおこなったスタックスネット事件のように、情報空間での攻撃が物理空間での攻撃に直接つながるというケースも出てきましたよね。両者が完全にリアルタイムに相互作用する紛争の形態は、これまでになかったものだと思います。

小泉 そうですね。エストニアのナルバ館に行ったときにも、そのことを実感しました。国境手前から40kmのところで携帯電話の電源を切るように指示されました。ロシアからの電波傍受を防ぐためですね。一方、、ロシア国内では2019年に主権インターネット法が施行され、インターネットエクスチェンジをすべて管理下に置こうとしています。

漫画版の《攻殻機動隊》シリーズのなかで、電脳の世界に侵入するハッカーを警戒するセリフとして、「チリチリする辺がゴーストラインそれ以上は潜るな」という表現が印象的でした。読んだ当初はよくわからなかったのですが、ウィリアム・ギブスンなどほかのサイバーパンクの書き手の作品も読むなかで、これはサイバー空間においてもフィジカルな感覚が得られるということを言っているのだと気がつきました。日本においても、SNS上で批判や誹謗中傷が殺到する様子を「炎上」なんて呼びますよね。情報空間と物理空間の接近を身体で感じるというのは、いまではリアリティのある話になってきていると思います。

廣瀬 SNSの話が出ましたが、サイバー戦争においては言語の問題も重要です。たとえば、ポーランドは低強度紛争のようなかたちで、ロシアの流布する偽情報や誤情報に晒され続けています。その脅威が深刻になる要因のひとつは、ロシア語とポーランド語の類似性が高いからです。

大屋:日本の場合、島国であることによって守られている面がありますね。難民を送り込まれることは自然国境によってありませんし、電波傍受のような攻撃についても物理的な距離によって阻まれている面がある。偽情報や誤情報においても、言語的な距離によって助けられているでしょう。

廣瀬 おっしゃるとおりです。ポーランドの例を続ければ、ハイブリッド戦争の被害はサイバー攻撃に留まらず、ロシアと関係が緊密なベラルーシから難民を送り込まれていることもあります。難民流入は社会の混乱を招くけれども、国境を閉鎖すれば人権問題として非難されてしまいます。ロシア・ベラルーシに対していつも人権問題で批判してくるくせに、自分たちだって反人権的ではないかと、ロシアが情報戦に利用するのです。それでも国境を閉鎖した場合、同じように難民テロに苦悩しているフィンランドの事例で言えば、フィンランドにはロシア系の住民もいるので、その人たちがロシアに行きたいと抗議行動を起こすような展開も生まれ、内政問題になりました。日本の読者にとってはなかなか理解しづらいことかもしれませんが、二重、三重の被害を与える攻撃なのです。欧州の多くはシェンゲン協定を結んでおり、国境がなきようなものですから、これはヨーロッパ全体の秩序にとっても脅威となります。

このような脅威を思うと、極端なことを言えば、ある意味で鎖国は安全なんですよ。先ほど大屋さんが北朝鮮による情報の遮断や検閲について触れていましたよね。最近私は中央アジアの北朝鮮と言われるトルクメニスタンに行ってきたんですが、インターネットは一応通っていて検索エンジンを使うことはできるんですが、閲覧したいウェブページにアクセスしようとするとできない。S N Sは完全にアクセス不可能です。メールもおそらく検閲されてます。VPNと衛星放送についても許可はされているものの、たまに一時禁止になったりして、引き締められてしまうそうです。微妙なバランスで統治をおこなっているので、暴動が起きません。経済面も同じような感じで、天然ガスを有するため、国際的な経済活動が限定的でも、国民生活に必要な物資は供給できています。ガソリンや水、ガス代などが極めて安価なので、日常生活に不満が起こりづらいのです。

秩序の複数性とロシアの問題

大屋 廣瀬さんのお話を伺っていて、政治哲学者のジョン・ロールズが書いた『万民の法』(中山竜一訳、岩波書店、2006年)を思い出しました。ロールズはこの本のなかで、国内については自身の『正義論』(川本隆史・福間聡・神島裕子訳、紀伊國屋書店、2010 年)にあるような再分配をおこなう福祉国家モデルが正しいとしながらも、国際関係については一定の節度があれば、非民主的な国であっても容認してメンバーシップを認めなければならないと主張しました──リベラル派からは非常に評判の悪い議論でしたが。

これを踏まえたうえで言うと、私はメンバーシップに求められる重要な条件というのは、消極的自由であると考えているんです。具体的には、市民の生命や財産が守られること、それに対する政府への信頼があることが最低限必要なのではないか。反対に、政治参加ができるというような、積極的自由についてはある程度譲歩しうるのではないかと。

小泉 従来は、こうした複数の秩序が共存する状況が想定されてこなかったため、新たな枠組みが必要となっています。1990年代に「グローバル・ガバナンス」の概念が唱えられましたが、国連の機能不全などもあり、秩序をコントロールできる体制は未だ実現されていません。今回のウクライナ戦争を通じて、この課題が改めて問題提起されました。

ヒントになるかもしれないと思うのは、先ほど大屋さんが引用していた「新しい中世」という概念です。それは近代やポスト近代といった単一の方向性に収斂したり、異なる秩序を統合するメタ・システムが存在したりするのではなく、複数の圏域が併存し続けるような世界観ですね。

大屋 中世の特徴は、領域によって支配者が違っていて、しかもその領域同士の関係も、相互に重なっていたり矛盾があったりして、どれに従えばよいかわからないところあります。たとえば、物理空間は軍事力をもつそれぞれの諸侯が支配しているけれども、精神世界は教会が強い。教会は領主からみれば中間団体のようだが、実際にはグローバルなネットワークをもっています。どちらも裁判権をもっているので、なにか事件があってもどれに従えばいいかわかりません。これは現代において、情報空間を国家が統治しているのかグローバル企業が統治しているのかはっきりしないこととも似ています。

最後に、このような中世的な秩序が存在しうるという仮説をもったうえで、ロシアの現状と未来についてお二人にお聞きしたいと思います。私は2012年にプーチン大統領が復帰して以降、ロシアは先ほどお話ししたロールズの言うようなメンバーシップの条件からだいぶ外れていってしまったと思っています。それ以前のロシアは暗殺事件のような国際問題を起こしてはいたものの、グレーゾーンのところで踏みとどまっているようにみえました。しかしクリミア併合によって自国はおろか他国の安全までをも脅かす国になり、それが成功体験になったのか、今回のウクライナ侵攻によって完全に境界線を踏み越えてしまった。いかがでしょうか。

小泉 冷戦後の30年間、国家の行動原理は経済学的な合理性、つまり利益の最大化を追求することにあると考えられてきました。しかし、これでは今回のウクライナ侵攻を説明することができません。よく言われるNATOの拡大をロシアが面白くなく思っていたことは戦争の遠因として重要ですが、ウクライナへの拡大が差し迫っていたわけではない。ロシアが軍事力を用いてウクライナを攻撃しなければいけないという、我々的な意味での合理性は明らかに存在していなかったと思います。

別の言い方をすれば、プーチン大統領は、私たちとは異なる合理性に基づいてウクライナ侵攻を決断したのだということです。国家やその指導者にとって、目的そのものを導出するための合理性と、目的を達成するための合理性とは別々に存在しているのではないでしょうか。

廣瀬 たしかに、その観点で言えば、今回の戦争においてロシアはある程度目的を達成しているんですよね。少なくとも、プーチン大統領がそのように評価している可能性はあります。現実問題として、プーチン大統領は経済制裁を乗り越え、政権を維持しているわけですからね。もちろん、余裕のある状態ではありません。GDPの6%は軍事という戦時経済の中、中国やインドを筆頭としたグローバルサウスの国々との貿易、イランや北朝鮮との軍事協力に支えられながら何とか経済を回しているだけです。将来性のある若い人材もどんどん海外に流出していますし、ロシアに未来があるかと言われたら相当厳しいでしょう。しかし、それでもあと数年はこの戦争を続けることができるでしょうし、その結果としてロシアの影響力や領土が増えれば、プーチン大統領にとっては満足なのかもしれません──ただ、そうであったとしても、この戦争を始めたプーチン大統領の最終的な目的については、合理的観点からはやはり説明できません。

そのうえで、今回のウクライナ戦争が起こって国際関係論の研究者として痛切に思わされたことは、それぞれの主体がどのような論理で動いているのかを、これまで以上に丹念に追っていかなければならないということです。ロシアで言えばプーチン大統領自身の正義観やナラティブも含めて、自分の常識に囚われずにみていく必要があると思っています。その対象はロシアだけではなく、ロシアへの経済制裁に参加し、ウクライナに対するライク・マインデッドな国々についても同じです。G7のメンバーであっても、相互に細かい対立や矛盾があり、決して一枚岩ではありませんからね。

小泉 そのとおりだと思います。国家の選択も、そのために用いる手段やツールも、指導者がなにを合理的であると考えるかによって大きく変わります。これを読み違えれば、ベトナム戦争の例に見られるように泥沼の状態を迎えることもあるわけです。その意味でウクライナ戦争が恐ろしいのは、各国の指導者に戦争という手段の現実性を感じさせてしまった点です。これまでは第二次世界大戦の悲惨な記憶から、大規模な直接的な武力行使を避けようとするインセンティブが働いていました。もはや、そうした制約は薄まってきているのではないかということです。

このようにさまざまな合理性が併存する状況において、自分たちはほかの秩序とどのように共存できるでしょうか。この問題に答えるためには、自分たちの秩序の本質はどのようなものか、最小限守らなければならないものはとはなにかを改めて問い直す作業が求められていると思います。


小泉悠
こいずみ・ゆう/ 1982年千葉県生まれ。早稲田大学社会科学部、同大学院政治学研究科修了。政治学修士。民間企業勤務、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所(IMEMO RAN)客員研究員、公益財団法人未来工学研究所特別研究員を経て、東京大学先端科学技術研究センター(グローバルセキュリティ・宗教分野)准教授。専門はロシアの軍事・安全保障。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)、『現代ロシアの軍事戦略』『ウクライナ戦争』(ともにちくま新書)、『ロシア点描』(PHP研究所)、『ウクライナ戦争の200日』『終わらない戦争』(ともに文春新書)などがある。


廣瀬陽子
ひろせ・ようこ/1972年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了・同博士課程単位取得退学後、慶應義塾大学大学院で政策・メディア博士(論文)を取得。現在は慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、旧ソ連地域研究。国家安全保障局顧問など政府の委員等も多数歴任。著書に『未承認国家と覇権なき世界』『コーカサス 国際政治の十字路(2009年アジア太平洋賞特別賞)』『ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略』など多数。


大屋雄裕
おおや・たけひろ/1974年生まれ。慶應義塾大学法学部教授、専攻は法哲学。東京大学法学部を卒業、同大学助手・名古屋大学大学院法学研究科助教授・教授等を経て2015年10月より現職。著書に『自由とは何か 監視社会と「個人」の消滅』(ちくま新書、2007年)、『自由か、さもなくば幸福か? 21世紀の〈あり得べき社会〉を問う』(筑摩選書、2014年)、『法哲学』(共著、有斐閣、2014年)等がある。