© 士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会
© Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045

KODANSHA

2024.10.28COLUMN
SHARE
ISSUE #04濵田太陽

分散を社会実装できるか:神経科学から辺境まで

構成_瀬下翔太[Shota Seshimo]
図版_安藤瑠美[Rumi Ando]

《攻殻機動隊》シリーズは、人々がインターネットへ抱く想像力に対して、繰り返し介入してきた作品である。意識や身体感覚の拡張からハクティビズムやテロリズムの温床、そしてシンギュラリティの向こう側まで……。

近年で言えば、Web3について語られるとき『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』がしばしば引かれる。チームプレイをアリバイとして退け、むしろスタンドプレーこそがチームワークを生み出すとする公安9課・荒巻課長の言葉は、個人が個人のままで他者と協働する「DAO」(分散型自律組織)のビジョンに輪郭を与えているのだろう。

Web3は、暗号通貨やブロックチェーン技術を広く示すタームであるとともに、データやコンテンツをユーザー自身の手に取り戻し、より分散的なインターネットの世界を目指す運動のことでもある。かつて双方向的かつ民主的であることを謳ったWeb2.0は、いまや中央集権的なビッグテックへと堕してしまった。言説としてのWeb3には、それに対する反発も込められているだろう。

株式会社アラヤに所属する濵田太陽は、サイエンスの現状に対する違和感に端を発し、Web3の諸技術を活用した「DeSci」(分散型科学)の可能性を追求する神経科学者である。その関心は狭義の科学技術分野に留まらず、アメリカの伝統的なハッカー文化から昨今の効果的利他主義のような言説、公共性論、日本の情報社会論まで幅広い。技術と運動、学術、実業を架橋しながら、インターネットの理念とも言える「分散」に何度も光を当て直す濵田の議論は、やがて辺境へと至る。

本インタビューを通じて、「分散」の潜在力とその社会実装の未来について、今一度考えてみたい。

目次

カウンターカルチャーとしてのWeb3

──Web3という概念は、ブロックチェーンや暗号通貨といった具体的な技術を指すだけではなく、ある種の思想運動のようにもみえます。まずはWeb3における技術と思想の関係について教えていただけますか。

直接答える前に、少しシリコンバレーと情報社会論の歴史を遡ってみたいと思います。シリコンバレーというのは、おおよそ北はサンマテオ周辺から、南はサンノゼあたりまでの地域を指しています。その名の通り、シリコン/半導体産業がもたらされるのは1950年代のことですが、当時はかなりの田舎でした。スタンフォード大学も今のような名門大学ではないし、ハイテク産業もヒューレット・パッカードがあったくらい。そういう土地で、在野のはねっ返り的な起業家やエンジニアが活躍します。代表的な人物は、ウィリアム・ショックレーです。彼はスタンフォード大学の近くで会社を興し、真空管に代わる半導体=トランジスタを発見。後にノーベル物理学賞も受賞しました。

1960年代後半になると、スタンフォード大学を出た作家・編集者のスチュアート・ブランドが雑誌『ホール・アース・カタログ』を出版します。スティーブ・ジョブズをはじめ、多くのエンジニアたちに影響を与えたこの雑誌によって、カウンターカルチャーとコンピュータカルチャーの間に深いつながりができていきます。政治的な面でも、冷戦下における核爆弾への恐怖や国家間の対立への忌避、あるいは自分の情報を覗き見られたくないというプライバシー意識といった立場が示されました。1970年代の中期には、『ホール・アース・カタログ』の利益を再投資することで、「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」が設立されます。これはアクティビストのフレッド・ムーアとエンジニアのゴードン・フランチらが中心となった団体で、手作りのコンピュータを持ち寄る趣味の集まりです。ここからAppleのスティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックを含め、多くの起業家が生まれました。

続く1980年代から1990年代にかけて、ハッカーの社会的・政治的な立場をさらに鮮明にするような本がいくつも出版されます。例えば、1984年に出たスティーブン・レビーによる『ハッカーズ』や、1993年のエリック・ヒューズによる「サイファーパンク宣言」、1996年にジョン・ペリー・バーロウが起草した「サイバースペース独立宣言」などですね。どれも情報技術を通じて現行の社会システムに対する疑問を呈し、オルタナティブを実現しようとする点で共通しています。

さて、このような流れをお話したのは、いまWeb3という言葉で表現されている潮流も、こうしたオルタナティブの系譜にあると思うからです。ビットコインを開発したサトシ・ナカモトはサイファーパンクの影響を強く受けていますし、ブロックチェーン・プラットフォーム「イーサリアム」の共同創設者であり、Web3という概念を最初に提唱したギャビン・ウッドは、エドワード・スノーデンの活動に衝撃を受けたと語っています。

ではWeb3は、何に対するオルタナティブなのでしょうか。Web3というムーブメントは、ブロックチェーンや分散型ストレージなどを活用することで、分散型社会を目指しています。それは現行の中央集権的な情報基盤や、金融や貨幣システムに対するアンチテーゼだと言えるでしょう。実際、ビットコインとブロックチェーンに関するサトシ・ナカモトのホワイトペーパーが公開されたのは、2008年のリーマン・ショックの直後のことでした。グローバルな金融システムの問題が顕になったところに、分散型の仕組みがアンチテーゼとして登場したのです。

ただし、新しいムーブメントといっても、その中身のすべてが新しいわけではありません。例えば、経済学者のミルトン・フリードマンは、1999年の時点で信頼に足る電子キャッシュのプロトコルがないことを指摘し、「e-cash」という価値の送信プロトコルについて語っていました。また、ブロックチェーンを実装する上で重要なスマートコントラクトという取引の自動化に関するアイディアも、すでにコンピュータ科学者のニック・サボ によって、1990年代に提案されていたものです。

しかし、先ほど歴史をみたように、これらのアイディアが社会に広がるまでには、サトシ・ナカモトらの登場を待たなければなりませんでした。その背景として踏まえておかなければならないのは、2000年代後半の状況でしょう。各家庭には当たり前のようにコンピュータがあり、そしてビットコインを扱うのに十分な計算能力も備えていました。普及を支えたと考えています。現実が追いついていなければ、画期的なアイディアも広がりませんからね。

公共的なシステムを目指すイーサリアム

──Web3のムーブメントは、リーマン・ショックのような出来事も背景にしながら、既存の社会システムに対するカウンターとして現れたわけですね。ただ、そうした理念とは別に、暗号通貨やNFTのバブルといったイメージから、実社会とはあまり関係のないもの、投機的なものだと捉えている人もいるのではないでしょうか。Web3やブロックチェーンの可能性は、具体的にどのような領域にあると考えますか。

たしかに、2017年あたりから、資金を集めて独自の暗号通貨を公開するICO(Initial Coin Offering)や、暗号通貨にお金を突っ込んで億万長者になった人たちが話題になりましたよね。そうした影響もあって、投機的な業界だと思われている側面は強いでしょう。しかし私自身は、そうした側面にはあまり関心をもっていません。

むしろ、新しい公共性を実現する仕組みとして重要だと考えています。例えば、ビットコインに次ぐ時価総額第2位の暗号通貨「イーサ」をもつブロックチェーン・プラットフォームのイーサリアムは、創設者のひとりであるヴィタリック・ブテリンの思想の影響もあり、自分たちのプラットフォームを公共的なシステムとして位置づけようとしています。

もう少し具体的に説明してみましょう。いわゆる法定通貨の場合、国家は徴税によって、市民が稼いだお金の一部を合法的に取り上げることができます。対して、ブロックチェーン上の暗号通貨の場合、取引する際に手数料が発生します。これは言ってみれば税金のようなもので、「ガス代」と呼ばれます。使途の多くはインフラの維持などですが、イーサリアムはその一部を公共的なプロジェクトに投資しています。例えば、ユニセフと連携して、金融アクセスや教育、環境、公衆衛生といった格差を是正するプロジェクトがよく知られていますね。

もちろん、GoogleやMicrosoftのような既存のビッグテックであっても、こうした社会貢献のプロジェクトを実施しています。しかし、イーサリアムの動きがそれらと大きく違っているのは、ブテリンのような創設者たちが、その使途に関して強い権限をもっていない点です。イーサリアムの研究開発資金やエコシステム拡大を担う「イーサリアム・ファウンデーション」による支援は、基本的にはオープンソースプロジェクトに対するものになっていますし、ブテリン自身のイーサリアムの保有率は1%もありませんでした。集まったお金の使い方を公共的なものにすることに加えて、その運営方針や統治技術を民主的なものにしようとしていると言ってもいいかもしれません。

それから、イーサリアムのようなブロックチェーンのプラットフォームはパーミッションレス、すなわち非排他性があり、これは経済学において「コモンズ」がもつとされる性質とよく似ています。例えば、政府を信頼することができない国に暮らしていたり、銀行口座をもっていなかったりする人であっても、イーサリアムを通じて構築されたブロックチェーン上の金融システム「DeFi」(分散型金融)にアクセスする機会を得ることができるのです。

実際、暗号通貨が広く使われている国々は、ナイジェリアやベトナムのように、自国の通貨があまり強くなかったり、政府に対する不信感が高かったりするところが多いんです。市民は既存のシステムの信頼性に疑問があって、別のものを求めているということですね。そして、現在では暗号通貨の時価総額をすべて足し合わせると、2兆ドルを超えています。これを株式の時価総額と比較すると、イギリスや中国などと引けを取らない規模です。このような点を鑑みると、Web3のもつ公共性について、少し印象が変わってくるのではないでしょうか。

新しい情報技術の思想とグローバリゼーション

──グローバルなプラットフォームや、それを運営するビッグテックの問題もあちこちで指摘されるようになりました。イーサリアムに限らず、IT産業全体において、これまで以上に公共性が求められるようになっていると思います。近年、慈善資本主義や効果的利他主義といった言説が出てきたことも、そうした流れのなかにあると思うのですが、いかがですか。

一言で言ってしまえば、社会の基盤が根本的に崩れてきているという感覚があるのだと思います。アメリカの左右の分断やイギリスのブレグジット、地球規模の疫病や貧困、環境問題……これらは少なからずグローバル資本主義によって引き起こされているのではないか。当事者のひとりであるIT産業においても、そんな認識が広がってきたのだと思います。

もう少し個別に見てみましょう。まず、名前を挙げていただいた効果的利他主義と慈善資本主義は、それぞれ出自が違いますね。慈善資本主義はアメリカから出てきたもので、アメリカの伝統的な寄付文化が前提になっている。ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような大富豪が、自分たちの手で直接的に寄附をおこない、社会を変えていこうという発想です。他方で、効果的利他主義──「長期主義」と呼ばれるバージョンもありますが──は、オックスフォード大学の倫理学者、ウィリアム・マッカスキルによって提唱されたものです。これは将来世代の人類存亡リスクを重視し、そのリスクを費用対効果の科学的分析によって考えようとします。さらに効果的利他主義の場合、支持者は大富豪だけに留まらず、ビッグテックで働いていたり、暗号通貨で儲けていたり、ちょっとした資産家のようになった人たちも含めて、一部に熱狂的な支持者がいます──もちろん、大多数が賛同しているようなものではないですが。共通点もあって、どちらも長期的で利他的なアウトカムを志向しているし、一種のムーブメントになっているところも似ています。

近年、ほかにもテクノロジーやIT技術とかかわる思想がいろいろ出てきています。ここでは経済学者のグレン・ワイルが2022年に発表した“Political Ideologies for the 21st Century”を参考に、少し紹介してみたいと思います。ワイルはさまざまな思想潮流を「シンセティック・テクノクラシー」、「コーポレート・リバタリアニズム」、そして「デジタルデモクラシー」という3つの考え方に分けて整理しています。

まず、シンセティック・テクノクラシーというのは、AGI(汎用人工知能)による統治がおこなわれるようなビジョンです。「OpenAI」のサム・アルトマンやシンギュラリティ論を唱えるレイ・カーツワイルらがこれに当てはまるとされます。ワイルはこうしたビジョンを提唱する人たちに対しても、それを過度に警戒する一部の効果的利他主義者たちに対しても、ともに違和感を示します。そんな世界は望ましくないが、そもそも訪れることはないだろうというわけですね。

これと同じような疑問は、ほかの起業家からも提出されています。例えば、東京の「SakanaAI」を率いるデイヴィッド・ハです。ハは、効果的利他主義の信奉者たちは「ドゥーマリズム」、すなわち終末論的なカルト思想に陥っていると皮肉っています。特にAGIに対する破滅的な見方はおかしいと指摘します。対して彼は自分たちのAIモデルについて、小さい魚が群れをなすように、小規模の人工知能が連携して高度な知性を実現する群知能的なものだと語っています。単一の人工知能が汎用性を持つAGIのようなものとは違うというわけですね。

次にコーポレート・リバタリアニズムは、個人の自由や主権を最も重要視し、デジタルやブロックチェーンといった技術を用いることで既存の政府からの独立を図る集団です。例えば、2022年に『ネットワーク国家』を書いたバラジ・スリニヴァサンやブライアン・ジョンソンらです。スリニヴァサンらは、シンガポールの小島を買い取ってネットワーク国家の実験「ネットワーク・スクール」を実施するという声明を、2024年8月に発表しています。企業の強力なCEOのようなリーダーシップのもとインターネット上の国家を運営するスタイルを追求しています。

最後に、デジタルデモクラシーです。ワイル自身はこの考え方にコミットしています。その鍵語がPluralityです。これはハンナ・アーレントやウィリアム・ジェームズといった思想家たちにインスピレーションを得たもので、性別や年齢、年収、趣味といった属性の違いから生じる、個人間の還元不可能な差異を意味しています。このような概念を導入して、それぞれの違いを受容しながら協力していくためにテクノロジーを活用するというヴィジョンを提示するのです。すでにあげたシンセティック・テクノクラシーやコーポレート・リバタリアニズムと異なり、社会や政治のデジタル化は必要だけれども、それは一部の金持ちや強者が一方的に決定するものではありません。むしろ、普通の市民の積極的な参与を強調するものです。

伝統的な民主主義論のようですが、新しいテクノロジーを活かして統治技術の変革を目指すところに力点があります。例えば、ワイルは「クアドラティック・ボーティング」(QV)という新しい投票システムを提案しています。これは自分の関心に応じて複数の選択肢に対し重み付けした票を投じることができるというアイディアで、すでに台湾やコロラド州などでは部分的に採用されています。さらにワイルはイーサリアムのブテリンとともに、これを資金調達に応用した「クアドラティック・ファンディング」(QF)という方法を2018年に提案しています。クアドラティック・ファンディングは、イーサリアム・エコシステム内のオープンソースプロジェクトを支援する「Gitcoin」というプロジェクトで導入されています。

私自身がデジタルデモクラシーの議論で重要だと考えているのは、情報の流れを「ブロードキャスティング」から「ブロードリスニング」へと変えていこうというものです。ブロードリスニングとは、機械学習を専門とする研究者のアンドリュー・トラスクが唱えた概念です。これまでのソーシャルメディアがアイディアや意見の伝達であるブロードキャスティングに重きを置いていたのに対して、ブロードリスニングは意見の可視化などの方法によって、多くの市民の意見を聞くことを目指します。それによって、人々の熟慮を促す技術であるとされているのです。日本でも、2024年の都知事選に出馬した安野貴博の陣営では、「AI Objective Institute」(AOI)が提供する「Talk to the City」(TTTC)を、ブロードリスニングの方法として活用していました。

AGIによる巨大な単一システムによる統治を目指すシンセティック・テクノクラシーとは異なり、人々の多様性や違いを考慮しながら、分散的に存在する人々の意見を活用し、集団的意思決定を促すことを狙うデジタルデモクラシーにおいて、ブロードリスニングは重要な方法になると思います。

ニューロサイエンスとDeSci

──濵田さんご自身のことも伺いたいと思います。Web3のような運動はもちろん、さまざまな情報社会の思想に関心をもっておられるのはなぜですか。神経科学者という肩書からは、少し意外な感じもします。

公共的なシステムとしてのサイエンスの持続可能性に疑問を抱くようになったからです。いま大学を中心とする科学研究は危機を迎えています。各国の科学予算は上昇し続けているにもかかわらず、学術雑誌の掲載料の増額や無償の査読によって、科学者たちの研究時間は圧迫されている。また、研究の再現性に対する疑義も2010年代には大きくなりました。このような状況で科学研究はやっていけるのか、ほかに方法はないのだろうかと考えるようになったのです。

この問題について本格的に考え始めたのは、2020年前後のことです。ちょうど博士論文を提出し、コロナ禍も相まって時間がありました。そこで研究開発におけるフィランソロピーや、ブロックチェーンを用いたファンディングについて知ったのです。さらにリサーチを進めるなかで、「DeSci」(分散型科学)という言葉に出会いました。DeSciを特徴づけるのは、トークン発行によって資金調達をおこない研究開発を進める、分野横断でコラボレーションする、オープンサイエンスを推進して学術出版社の商業的な利害に縛られずに研究成果を公開するといったものです。ブロックチェーンによって、研究に必要なお金の流れを変えるとともに、研究の素材・成果であるデータの流れをも変える──これには可能性があるかもしれないと思いました。

DeSciが本格的に始まったのは2021年頃ですから、まだまだ萌芽的なものです。ただ、いくつか興味深い事例も出てきています。例えば、長寿研究に特化した「VitaDAO」というプロジェクトがあります。VitaDAOは資金提供を受けると、そのお金で期待できそうな研究室に投資し、研究成果のデータ資産やIPを受け取ります。IPはNFT化して分散保持できるので、別の製薬会社などに売却して利益を得ます。VitaDAOはこの売却益を活かして、さらなる研究支援を狙います。DeSciの周辺では、このように研究支援のエコシステムを形成するプロジェクトが増えてきています。

あるいは、分散型臨床試験といって、個人にセンサーデバイスを送ってデータを取得し、それに合わせて健康上の課題をフィードバックする仕組みも社会実装が進んできています。日本のようにすぐ病院に通院できる国ではリアリティがないかもしれませんが、そうではない地域においては医療へのアクセスを担保するために期待されている方法です。これは必ずしもブロックチェーンが必須ではないものの、分散的に存在する資源を共有可能な状態にするという点で、DeSciの発想と近いですね。

──なるほど。Web3による分散型社会を目指すムーブメントが、科学研究にまで及ぶようになっていたと。そうした潮流は、ご自身の専門であるニューロサイエンスにどのような影響を与えそうですか。

ニューロサイエンスとDeSciの関係については、BMI(Brain machine Interface)で取得したデータをどのように扱っていくべきかが重要な課題になっていくと思います。現時点では、BMIのデータから大したことはわかりません。人間の行動を観察したり、発話を聞いたりするほうがよほどいい。しかし、将来的にはそのデータからいろいろな情報を取り出せるようになるはずです。そうなれば思想の自由の観点から、データの暗号化技術が必要になるはずだし、データ共有の方法についてもさまざまな議論がなされるでしょう。

もう少し具体的なイメージをもつ上で、神経科学者のエイドリアン・オーウェンが2017年に書いた『生存する意識──植物状態の患者と対話する』という科学書が参考になります。これは「植物状態」と診断された患者たちの脳活動をfMRIでスキャンし、じつは知覚や認識の能力を変わらず保持していることを解き明かしていくという刺激的な本です。オーウェンが素晴らしいのは、「なくしてしまった能力を補完するためにBMI技術を活用する」というビジョンを示した点にあります。しかしそのビジョンを実現するためには、どのようにプライバシーを守るか、BMIのような技術を用いる際にはどのような倫理が求められるかを明確にする必要があるはずです。

私自身は直接的にBMIを扱うというより、そこで取得されたデータを適切に共有できるインフラをつくることに関心があります。これはメタサイエンスと呼ばれる領域の一部です。さしあたり私が参考になりそうだと考えているのは、機械学習の領域で用いられている連合学習という方法です。連合学習の特徴は、取得したデータそのものを共有するのではなく、そのデータを手元でAIに学習させた上で、その学習結果だけを外部と連携する点にあります。身近なところでは、携帯電話の予測変換などにもこの技術が使われているようですね。このような方法であれば、病院がもっている患者の状態のような重要な個人情報であっても、プライバシーを守りながら研究に活かせるかもしれません。

日本の情報社会論を社会実装できるか

──ここまでWeb3の技術と思想から、その科学研究に対する影響までを幅広く語っていただきました。次に、こうした領域において、日本はどのような状況に置かれているかを伺いたいです。

まず、広く技術と思想に関して言えば、日本に独自の情報社会論の蓄積があることがきわめて重要だと思います。例えば、批評家の東浩紀は2000年代前半において、「環境管理型権力」という言葉で、個人認証やネットワークなどが人の行動を物理的に、情報的に制限することを指摘し、プラットフォームによる支配・管理のような現象を予見していました。その成果は、『情報環境論集 東浩紀コレクションS』(2007年)や、大澤真幸との共著『自由を考える 9・11以降の現代思想』(2003年)にまとめられています。さらに、そのあとの『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(2011年)では、国会の論戦を眺める市民たちのつぶやきをニコニコ動画のように議場に表示させ、それを議会の人間の熟慮と対置させることで一般意志が生じるというラディカルなアイディアを展開しています。これは最初にお話した、情報技術によって市民の意見を可視化するブロードリスニングの議論を先取りしていると言えるでしょう。

東浩紀だけではなく、社会学者の濱野智史が『アーキテクチャの生態系』(2008年)において提出している「疑似同期」という概念も重要です。疑似同期は、実際には異なるタイミングで入力されたコメントが、動画の進行に合わせて再生されることで同期しているように錯覚させる技術を指していて、ここにもブロードリスニングの萌芽が見て取れます。非同期での集団的意見を可視化することで、コンテンツに対して意見が集約されているようにみえるからです。また、起業家であり研究者の鈴木健が『なめらかな社会とその敵』(2013年)で提案している伝搬投資貨幣「PICSY」にも言及しておく必要があります。PICSYは価値が人から人へ伝搬し、有益な行動の結果が事後的に修正され評価されるという仕組みになっていて、大変興味深いです。あるいは、広く日本の思想ということでは、柄谷行人が『世界史の構造』や『力と交換様式』などで提起した交換様式Dの「X」──これは見知らぬ他人に対して、見返りなしに自由な交換をする様式とされます──は、オードリー・タンやグレン・ワイルらの思想運​​動・RadicalxChangeに大きな影響を与えています。

では、そうした思想の社会実装についてはどうか。議論の蓄積に比して、残念ながらかなり遅れているように思います。思想家とエンジニアの間にコミュニケーションはあったものの、思想家自身のアイディアを実現させた例はあまり多くありません。ようやく最近になって、先ほど触れた安野貴博によるブロードリスニングの実践をはじめとして、少しずつ事例が増えてきた段階です。

変化の芽は、資金や資源へのアクセスが大幅に増えたことにあると思います。これまでは社会を変えるようなアイディアがあっても、それを実現するリソースが足りなかった。しかし、暗号通貨やブロックチェーンといった領域に関しては、驚くほど投資が集まるようになってきたし、その原資を研究開発に投下する流れも進んできています。また、もう少し広く国内のIT産業を見れば、事業で得た資産をフィランソロピーへ活用する文化が育ってきたことも重要です。先ほど挙げた鈴木健は、自身の著書の刊行後にニュースアプリ「SmartNews」を開発して起業家としても成功しますが、しばらく社会的な発言が目立ちませんでした。しかし近年デジタルデモクラシーの領域において、ふたたび思想家として、社会実装家としての活動を再開しつつあります。

辺境を辺境のままにしないために

──日本においても、思想と社会実装の距離が近づきつつあるのですね。では最後に、分散型社会の実現について、濵田さん自身の考えやビジョンを伺いたいと思います。

今後の方向性について考える上で、「イノベーション・コモンズ」というモデルがヒントになると思っています。これはロイヤルメルボルン工科大学のジェイソン・ポッツという経済学者が提唱した考え方です。ポッツはイノベーション・コモンズの具体例として、最初にお話したホームブリュー・コンピュータ・クラブを挙げています。ポッツのモデルが興味深いのは、ホームブリュー・コンピュータ・クラブのようなDIYのコミュニティは、Appleなどのイノベーティブなビジネスのきっかけになったにもかかわらず、成長していく過程で必ず消えてしまうと考えるところです。なぜなら、コミュニティ内で出たアイディアをもって Appleのようなビジネスが作られてしまうと、メンバーがコミュニティから離れてしまうからです。つまり、コミュニティ自身が成功をすればするほど、共有するメンバーいなくなってしまうというわけです。ビジネスが成功したことそのもののなかに、コモンズが崩壊する理由がある──イノベーション・コモンズは、そんな逆説的なモデルなんです。

では、このモデルに含まれている逆説を克服し、イノベーションに必要なコモンズを維持することはできないでしょうか。そこで私が構想しているのが「分散型イノベーション・コモンズ」です。分散型イノベーション・コモンズでは、各地域、各コミュニティにおいて分散的に存在するお金や情報、データといったリソースを、AIなどを用いた自動マッチングを通じて、リアルタイムに共有できます。それによって、各地のコモンズに撒かれたイノベーションを生み出す種を枯らさず、アイディアを共有・供給し続けることが可能になるのです。このモデルは完全に新しいものではありません。これまでは主として市場を通じてアイディアが生み出され、流通されてきましたが、これからはブロックチェーンなどの新たなインフラによって、より効率的に、より複雑に処理できるようになっていく──そんな出現しつつある世界の側面を強調するための概念です。

分散型イノベーションコモンズのイメージをもう少し具体的に描いてみましょう。分散化されて流通するようになるのは、お金や情報、データ、アイディアといったバーチャルな領域ばかりではありません。現実空間に存在している物流のような領域であっても同じことです。例えば、日本の物流スタートアップで、「RENATUS ROBOTICS」という会社があります。この会社では、自動配送を配備した無人の物流倉庫を目指しています。彼らの構想は、コンテナひとつひとつに対して、暗号通貨で出資することができるというものです。出資したコンテナが稼働して利益を生んだら、それが分配されるわけですね。このような仕組みをつくれば、ブロックチェーンによってプロトコルは集約されているけれども、物理的な倉庫やコンテナそのものは、どこにあっても構わないことになります。実際には、AIをつかって常に最適な物流になるように制御していくことになるでしょう。あるいは、政治など公共性の高い領域についても、部分的に導入できると思います。デジタルデモクラシーやブロードリスニングと同じような発想で、分散した意見や声を集めるところについては、自動化できるプロトコルを整備すればよいからです。ただし、意思決定については議論が分かれますね。私自身は、まだ人間の政治的な意思決定を自動化すべき段階ではないと考えますが。

最後に、私自身が取り組みたいことについて話そうと思います。それは科学研究の分野において分散型イノベーション・コモンズを構築することです。もし実現できれば、とりわけ日本ではインパクトが大きいと思います。中央集権的な構造が強く、ブロードキャスティングもブロードリスニングも東京で起こってしまっており、国内のほかの地域や国外へと情報流通が生じづらい構造にあるからです。──こんなふうに考えるのは、私が鹿児島県・奄美大島の出身で、沖縄科学技術大学院大学(OIST)で学んできたからかもしれません。周縁にこそ面白いコミュニティやアイディアは生まれますが、それを放置していても科学研究は育っていかないのです。だからこそ、世界中でおこなわれている科学研究は、よりグローバルなリソースと相互につながることを求めています。辺境で起こっていることを辺境のままにしない、そんな分散化されたサイエンスの未来に私は賭けたいと思うのです。


濱田太陽
はまだ・ひろあき/神経科学者(博士)。リサーチチームリーダー(株式会社アラヤ)。沖縄科学技術大学院大学(OIST)科学技術研究科博士課程修了。2022年より、Moonshot R&Dプログラム (目標9)「逆境の中でも前向きに生きられる社会の実現」(山田PMグループ)のPrincipal Investigatorとして前向き状態に関するモデル化に従事している。研究テーマは好奇心の神経計算メカニズムの解明や大規模神経活動の原理解明。教育やサイエンスの新たな可能性を模索している中で、分散型サイエンスに注目している。