M.M.A. -Massive Mesh Ambitions-/三宅陽一郎「東洋的AIの可能性」英語版も公開
『攻殻機動隊』を思索・議論するメディアプロジェクト「M.M.A. -Massive Mesh Ambitions-」。
特集#01のテーマは「東洋的|The East」。
三宅陽一郎「東洋的AIの可能性」を英語版も公開しました。
人工知能研究者の三宅陽一郎は二つの顔をもつ。ひとつは、工学分野を中心に120を超える創造的な研究室が集う東京大学生産技術研究所・特任教授としての顔。もうひとつは、日本を代表する世界的ゲーム企業のゲームAI開発者という顔。アカデミックな環境に身を置き、日夜、世界中の先端的なAI研究の成果に触れる一方、ゲーム産業という、「仲間」としてのAIが求められる日本的サブカルチャーの環境で活動してきた三宅曰く、AIをめぐる研究と社会との文脈は、世界と日本で大きく異なるという。
三宅は『人工知能のための哲学塾』シリーズ(ビー・エヌ・エヌ新書)において、「西洋的AI」と「東洋的AI」という聞き慣れない二分法によってこの状況を整理している。前者はいま広く一般的に普及しているAIのことで、それは言葉や論理を中心とした還元主義の発想によるトップダウン型を指向し、きわめて機能主義的なあり方だという。対して、後者は身体や関係性を重視したボトムアップ型を指向し、機能ではなく「存在」を前提に生成されるAIのあり方をいう。そこには言葉や概念が「神」に近いものと考えられてきた一神教につながる西洋哲学の伝統と、言葉や概念はニセモノだと考える仏教をはじめとした東洋哲学の発想法との違いが見てとれる。はたしてその違いは、AIそのものの受容のされ方や開発態度にまで影響を与えている、というのが三宅の大まかな主張である。
では、「やがて行き詰まりを迎える」と予見される「西洋的AI」のカウンターとして、東洋/日本の地域的伝統や価値観の延長線上にある現在の文化から、AIのどのような発展可能性を膨らませることができるのか。キャラクター、人工生命、身体論、哲学、仏教、そしてスマートシティまで、「東洋的AI」に仮託した思いを縦横無尽に語っていただいた。